れきし体感学習セット(弥生時代セット)
「れきし体感学習セット」は,広島県内で発掘調査された遺跡から見つかった遺物をとおして,歴史を体で実感していただくために企画しました。
約2000年前のススの付いた土器や使いこんだ石器から,弥生時代の人たちがものを作り,使ったときの感触を味わい,生き生きした姿を想像してもらえればと思います。
現代に届けられたタイムカプセルとして,ぜひご活用ください。
公益財団法人広島県教育事業団埋蔵文化財調査室
セットの内容
遺物資料
- 弥生土器(壷・甕・鉢)
- 各1点
- 磨製石斧・砥石・敲石・石皿
- 各1点
- 石包丁
- 1点
- 炭化米
- 2箱
写真パネル
- 西本3・4号遺跡
- ①「火災にあった住居跡から遺跡が見つかったようす」
- ②「復元した弥生土器」
遺物資料について
弥生土器・石器・炭化米は東広島市高屋町の遺跡で見つかりました。
ア.弥生土器・磨製石斧・砥石・敲石・石皿(西本3・4号遺跡出土)
壺は食料などを蓄えるために使ったと考えられます。この壺は口縁部が二重になっているのが特徴で,弥生時代後期(紀元1世紀~3世紀)から古墳時代初頭(4世紀頃)にかけて,広島県や山口県,愛媛県などでよく作られた形の土器です。
甕の表面にはススが付着しているので,煮炊きに使ったと考えられます。鉢は,食べ物を盛り付ける器で,壺・甕とともに住居跡からよく見つかります。
磨製石斧(太型(ふとがた)蛤刃(はまぐりば)石斧)は,大型で重量があるので,木の柄をつけて,家を建てるための材木を切り倒すために使ったと考えられています。砥石は,石斧などを作るために研いだり,磨いたりするための道具で,かなり使い込まれ,すり減っていることがよくわかります。敲石と石皿は,主に木の実などをつぶしたり,粉にするために使ったと考えられます。
これらは,弥生時代後期中葉(2世紀頃)の竪穴住居跡が火事で焼けたため,生活していたままの状態で出土しました。
参考:写真パネル
①「火災にあった住居跡から遺物が見つかったようす」
②「復元した弥生土器」
パネル①の住居跡は,鉄塔部分が調査できなかったので,約3分の1は明らかではありませんが,規模としては,径約5mの円形の住居と考えられます。黒く見えるのは,焼けた土や,柱などが焼けたものです。
床に散らばっている土器の破片を接合し復元すると,パネル②のようになります。
イ.石包丁(西(にし)3地点遺跡出土)
石包丁は,稲の穂摘みの農具で,2個の穴にひもを通し,指を入れ,稲穂の茎を刃にあてて,摘み取ったと考えられます。
この石包丁は,弥生時代後期前葉(1世紀頃)の竪穴住居跡から見つかりました。
ウ.炭化米(浄福寺1号遺跡出土)
炭化米は,弥生時代後期前葉(1世紀頃)の貯蔵穴で見つかりました。この貯蔵穴は,土器の破片も多数見つかり,おそらく最後にごみ捨て場として使われていたため,火事などで炭化して食べられなくなった米も一緒に捨てられていたと考えられます。
また,完全な形をした600粒を選び,調べたところ,現在の米と同じ短粒型に属し,長さは約4.4mmで,現代米よりも小さいことがわかりました。
取り扱いについて
- 申請目的以外には使用しないでください。
- 当調査室の担当者の指示に従い,遺物の取り扱い・運搬には十分注意してください。
- 返却の際は,借用時と同様の梱包を行ってください。
- 万一,破損等の場合は,すみやかに連絡してください。
- ※令和3年9月1日から令和4年3月31日までの期間は,当調査室が学校まで運搬します。(積雪等により安全な運搬が担保できない場合は,貸出を控えさせていただきます。)
お申し込み
どちらのセットも,遺物の実物と写真パネルで構成し,ケースに入れています。
貸し出しは両方のセットが一緒でも,どちらか一方でも結構です。
お問い合わせ
- (公財)広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室
- 〒733-0036 広島市西区観音新町4-8-49
- TEL082-295-5751/FAX082-291-3951
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