第7回研究テーマ食料調達
【川の幸,山の幸】
【川沿いの集落跡・油免遺跡】
【発掘調査が進んだようす】
今回の研究テーマ「食料調達」を考えるために注目したのが,双三郡三良坂町の油免遺跡(ゆめんいせき)です。油免遺跡は平成10年(1998年)4月~11月と平成11年(1999年)4月~11月に発掘調査が行われました。主に弥生時代後期~古代にかけての集落跡ですが,縄文時代から江戸時代までの遺物や遺構もみつかっています。
さて,昔の人が実際に食料をどのように集めていたのか?その1つのヒントになるのが,油免遺跡でみつかった“石と穴”です。
"石"から考える
油免遺跡出土の石錘
左から,打欠石錘・切目石錘・有溝石錘
※1油免遺跡出土の土錘
油免遺跡では写真のように,手のひらにのるくらいの小さな石がみつかっています。
①打欠石錘…河原石の両端を打ち欠いてつくった石錘です。
②切目石錘…河原石の両端を擦り切って,切れ込みを入れた石錘です。
③有溝石錘…河原石に溝をめぐらせた石錘です。
左の2つはそれぞれ打欠石錘(うちかけせきすい)・切目石錘(きりめせきすい)といい,縄文時代を中心に使用された,魚を採る網の錘(おもり)と考えられています。ちなみに打欠石錘・切目石錘は,素焼きの土錘(どすい)※1が弥生時代に登場してくると次第に姿を消していきます。土錘は今でも投網(とあみ)の錘として使われていますね。
右の1つは有溝石錘(ゆうこうせきすい)といいます。この石錘は弥生時代後期または古墳時代前期のもので,中央の溝のようすから,細い糸を巻きつけて釣りの錘として使用されたと考えられます。
石1つからでも川の幸をもとめる昔の人のようすが想像できますね。
"穴"から考える
写真の穴(土壙(どこう))は,幅1.2m,深さ0.6m(中央の小さな穴の底までは0.8m)です。一見ふつうの穴に見えますが,穴の底をよく見てください。小さな穴がもう1つありますね。油免遺跡ではこのような穴が16基みつかりましたが,小さな穴に杭を立てて使用した縄文時代の落とし穴と考えられます。
みつかった落とし穴の多くは山際から斜面下へ向かって点々と延び,当時の動物の通り道を示しているかのようです。
研究室からひとこと
油免遺跡に暮らしてきた人々は,目の前を流れる川の幸,そして山の幸を,知恵と工夫で存分に得ていたようですね。
今回は主に狩猟による食料の調達をみてきましたが,ほかにも稲作や木の実の採集など,いろいろな方法で食料を得ていたことでしょう。