第10回研究テーマ塩づくりの謎 (なぞ) !
【塩の原料は?】
塩の採取は世界的にみると,塩水湖で自然にできた塩の結晶,塩分を含んだ地下水,鉱物としての岩塩などから得ている国々が多いのですが,残念ながら日本はそういった資源に昔から恵まれていませんでした。
したがって日本では海の水を利用するしか方法がなかったのです。
左) 塩湖で取れた塩の結晶 (中国・青海省)
右) 岩塩 (北パキスタン)
日本における塩づくり
海水の中には約3パーセントの塩分が含まれていますから,それに熱を加え,水分を蒸発させれば塩を得ることができます。しかし,海水を蒸発させるには莫大な量の燃料が必要となります。そこで昔の人は,海水の塩分をあらかじめ濃くしたものをつくり,それを土器に入れて煮つめ,塩の結晶を採る方法を考え出しました。
では,この土器による塩づくりの方法の一例をみてみましょう。
1.専用の土器に鹹水を入れる
まず,干した海藻を利用することによって採取した濃い塩水 (これを鹹水(かんすい)といいます。) を,専用の土器に入れて下から火を焚き・・・
2.鹹水を補充しながら煮つめる
鹹水を補充しながら煮つめます。
3.やがて土器の中に塩の結晶が・・・
そうすると,やがて土器の内側に塩の結晶ができてきます。
このように長い時間と多くの労力をかけて,昔の人は塩を獲得していたのです。
この塩づくりに利用された専用の土器を,わたしたちは「製塩土器」とよんでいます。製塩土器を使った塩づくりは,東日本では縄文時代後期(今から約3,500年前)に始まり,西日本では弥生時代中期(今から約2,000年前)に始まったとされています。
さまざまな形の製塩土器
製塩土器 (尾道市・大田貝塚)
(広島大学文学部考古学研究室蔵)
製塩土器 (府中町・下岡田遺跡)
(広島大学文学部考古学研究室蔵)
製塩土器 (蒲刈町・沖浦遺跡)
製塩土器がみつかった海辺の遺跡
(蒲刈町・沖浦遺跡)
製塩土器は,脚の付いた広口の鉢形のものやほっそりとした胴長のもの,胴部が膨れたグラス形のものなどさまざまですが,大きな特徴としては,時代が新しくなるにつれて下部の脚が消え,底部が丸くなっていったようです。
塩づくりの謎 (なぞ) !
製塩土器 (庄原市・和田原D地点遺跡)
製塩土器 (東広島市・助平3号遺跡)
ところで,製塩土器がみつかるのは海辺の遺跡ばかりだけではありません。中国山地の庄原市の和田原D地点遺跡や三次市の松ヶ迫遺跡群,東広島市の助平3号遺跡など海辺から遠く離れた遺跡からも出土しています。
どうやら昔は,塩の採れない内陸部にこの煮つめてできた塩を土器ごと運び,海辺と山間部の人々との間で交易をしていたと考えられます。
しかし,こうした製塩土器による塩づくりは,瀬戸内を中心とした西日本では,古墳時代の終わりから奈良時代にかけて衰退していき,平安時代にはほとんどみられなくなりました。
その理由としては,塩の需要の増加とともに,土器製塩法に代わって,海辺に広い砂地の塩浜をつくり,そこで大量の鹹水を採り,それを釜によって煮つめる方法が開発されたからです。この製塩法は,基本的には30年前くらいまで,瀬戸内の各地でみられたものでした。
研究室からひとこと
藻塩の会(代表:松浦宣秀)
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現在,日本ではイオン交換膜法という化学的方法で,海水から簡単に塩をつくっています。しかし,昔の人々は,わずかな塩を採取するのにも,大変な苦労をしながら塩づくりを行っていたのです。そうしたことを考えるうえでも,製塩関係の遺跡の発掘調査を行い,それを検証し,後世に伝えていく考古学の役割は非常に大きいものがあるのです。
このテーマの作成にあたっては,広島大学文学部考古学研究室,広島県立歴史民俗資料館,藻塩の会からのご協力をいただきました。
なお,蒲刈町では藻塩の会(代表:松浦宣秀)の人たちによる「古代塩づくりの体験学習」が行われています。みなさんも,一度チャレンジしてみてはいかがですか。