令和3年度 発掘調査ニュース
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城ノ本遺跡(竹原市新庄町城ノ本)
竹原小早川氏関連の集落跡を発見!
【調査期間】令和3年4月12日 ~ 令和3年9月3日
〔調査の概要〕
城ノ本遺跡は竹原市新庄町字城ノ本に所在し,瀬戸内海に注ぐ賀茂川の河口から約6㎞内陸に位置します。新庄町は主要交通ルートである古代山陽道と,瀬戸内海へ抜ける南北方向の交通ルートの結節点に当たる交通の要衝でした。
遺跡背後の東側には,13~16世紀に竹原小早川氏の本拠であった広島県史跡木村城跡,賀茂川を挟んだ西側の対岸には,竹原小早川氏の墓所や同氏の館跡の可能性がある手島屋敷跡など,周辺には竹原小早川氏に関連する遺跡が多く所在しています。
調査の結果,井戸跡・掘立柱建物跡・土坑・柱穴・石垣・土器溜り・水田跡と考えられる遺構を確認しました。遺物は14~15世紀の陶磁器や土師質土器などが出土しています。
今回の発掘調査によって,城と同時期に集落が営まれていたことが確認できました。
周辺には竹原小早川氏に関連する同時期の遺跡が複数所在していることから,城ノ本遺跡は同氏の本拠地を構成する遺跡群の一で,包含層から茶の湯を沸かす時に使用する風炉や貿易陶磁器などのぜいたく品や畿内産の土師質土器のほか,鋳造時に使用する取瓶も出土していることから,付近に館跡や鋳造施設など複合した遺跡が存在している可能性も考えられます。
空から見た城ノ本遺跡
(南西から)
木村城跡と賀茂川(北から)
調査前(北から)
中世水田石垣
矢穴跡が残る石材
石組の井戸
作業風景
土坑の調査
柱穴内の土器
土器溜りの掘り下げ
礫群の検出
土鍋の出土状況
亀居城関連遺跡(大竹市小方二丁目)
‟西国街道“ ‟亀居城の石垣” みつかる
【調査期間】令和3年4月12日 ~ 令和3年10月8日
〔調査の概要〕
亀居城関連遺跡が所在する大竹市小方(おがた)は,瀬戸内海と急峻な山に挟まれた狭小な平野です。古代山陽道の遠管駅があったとされており,現在でも交通の要衝となっています。
この遺跡の発掘調査は一般国道2号改築工事(岩国大竹道路)に伴うものであり,平成26年度に第一次調査を開始しました。第四次調査となる今年度は,市道として使用されていた道路部分を5か所調査しました。
調査の結果,どの調査区からも西国街道と思われる整地層がみつかり,4つの調査区では石垣を確認しました。
西国街道のものと思われる整地層では,複数の土層が重なっている様子が確認でき,街道が何度か整地されたことがわかります。また,整地層には多くの焼土を含む層もあり,この地で過去に火災があったこともうかがえます。また,街道からは礫が充填された溝状の遺構がみつかり,排水を目的に造られたものと考えられます。ほかに,街道に面した建物を区画したと考えられる石列などもみつかりました。
石垣は,1~2段残存している状態で,4か所からみつかりました。これらの石垣は海岸線に沿って岩盤の上近くで築造されており,護岸を目的とした石垣の可能性が考えられます。石材の大きさは幅70~120cmで,刻印(こくいん)や矢(や)穴(あな)が確認できるものもあり、その特徴から亀居城の石垣に使用された石材と判断されます。
平成27年度に確認した石垣(2B-1区2号遺構)は使用石材や積み方から、亀居城が築城された福島期のものである可能性が指摘されていましたが、昨年の発掘調査で当該石垣の裏込め部分の調査を行った結果、出土遺物の時期は18世紀が中心であることが判明しました。このことから当該石垣は福島期まで遡らないと判断されます。また、2B-1区2号遺構裏側に埋没していた石垣(3B-1区4・5号遺構)及びこれに接続する石垣(3B-2区3号遺構)についても出土遺物から近接する時期のものと考えられます。今回確認した岩盤近くの石垣はその位置と方向から3B-2区3号遺構と一体のものと考えられ、これらの石垣も福島期まで遡る可能性は低いものと思われます。丘陵下端と町家の間には西国街道のスペースがないことから、西国街道は海に面して設置され、さらに町家の範囲拡張に伴って、位置が徐々に変遷しているものと推測されます。今回確認した石垣は西国街道の護岸のためのものと考えられます。なお,遺構に伴う遺物は出土していませんが,調査区内からは近世以降の瓦・陶磁器や古銭などが出土しています。
亀居城関連遺跡については今年度で調査を終了しますが,西国街道,町家跡などを確認しており,当時の歴史を考える上で貴重な資料を得ることができました。
調査前の状況
(山裾の道路部分が調査範囲)
西国街道の残存状況
西国街道の土層断面
(中央の部分)
西国街道からみつかった
溝状の遺構
建物を区画したと考えられる
石列1
建物を区画したと考えられる
石列2
石垣の残存状況1
石垣の残存状況2
石垣の残存状況3
刻印1
刻印2
矢穴
中山城跡遺跡(福山市草戸町)
中世の集落跡を臨む城跡を調査
【調査期間】令和3年11月29日 ~ 令和4年2月4日
〔調査の概要〕
中山城跡は福山市草戸町に所在し,芦田川下流域の西岸にある標高48ⅿの独立丘陵上に立地しています。現状は山林で,山頂は神社の境内地となっています。遺跡と同じ西岸の約1㎞北側には,国宝の本堂や五重塔を有する明王院があります。また,すぐ北側には草戸千軒町遺跡が広がっています。
この城跡は,標高約46mの頂部に主郭を置き,南北に郭を配する構造となっています。南東側には堀切が設けられて,さらに郭がめぐっています。
発掘調査は,福山沼隈線道路改良事業に伴うものです。城跡のある丘陵を東西に貫くトンネル建設工事にかかる丘陵の斜面部分だけを実施し,東側調査区と西側調査区に分かれます。どちらの調査区でも溝状の落ち込みを確認しました。傾斜の緩さや溝の底幅が広いことなどから,竪堀の可能性は低いと考えられます。東側調査区で出土した陶磁器から,中山城跡が15世紀代には存在していたと考えられますが,草戸千軒町遺跡との関係や城主等については,来年度以降の調査内容を含めて検討していきます。
空中から
東側調査区
調査風景
東側調査区(東から)
東側調査区溝状遺構
(南西から)
陶磁器出土状況