令和2年度 発掘調査ニュース
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亀居城関連遺跡(大竹市小方二丁目)
西国街道みつかる
【調査期間】令和2年4月13日 ~ 令和3年3月12日
〔調査の概要〕
亀居城関連遺跡が所在する大竹市小方は,東は瀬戸内海に面し,西は急峻な山が迫る狭小な平野です。古代山陽道の遠管駅があったとされ,古くから交通の要衝です。
今年度の調査区は,亀居城跡がある丘陵の東裾を通る道の一部と東側の平坦地,城跡南裾の平坦地になります。調査の結果,西国街道,町家跡,亀居城に関連する石垣を確認しました。
確認した西国街道は,東西へ分岐します。東側の路線は,18世紀後半以降に海を埋め立てて作った増側町に伴うもので,現代まで使用されていました。西側の路線は,東側より古い時期のもので,海を埋め立てる以前の路線です。
西国街道の東側では町屋跡を確認し,数基の土坑とともに近世の埋甕や池状遺構などを検出しました。
亀居城に関連する石垣は,高さ3m,長さは12m以上で,南東角は算木積みです。この石垣は,古い石垣を埋め込んで海側に拡張していることがわかりました。
城跡南裾の平坦地の調査区では,2次調査で確認した石垣の続きを検出しました。合わせて50m以上の長さになります。
出土遺物として,近世以降の瓦・陶磁器や古銭・金属製品などが出土しています。
今回の調査成果は,江戸時代初期の城郭と,それ以降の道路や町屋の様相を考える上で重要な資料です。
亀居城関連遺跡
調査の様子
第2次調査でみつかった石垣の続き
火災のごみを捨てた穴
庭池(地面に粘土を貼っている)
石で蓋をした埋甕
航空写真
西国街道(西側路線)
作業風景
作業風景
算木積みの石垣の南東角
現地見学会
水除浜塩田跡(東広島市安芸津町風早)
瀬戸内沿岸の塩づくりの解明に期待!
【調査期間】令和2年4月13日 ~ 7月10日
〔調査の概要〕
遺跡は東広島市安芸津町の海岸近くに位置し,近世には沿岸一帯で潮の干満を利用して塩を作る製塩が盛んに行われた地域にあります。水除浜塩田跡は文献や古地図などから幕末にあたる天保年間に創業され,明治・大正を経て昭和初期まで営業されていたと記録されています。遺跡の周辺には,塩田の痕跡が数多く残っています。発掘調査地点は,中世の山城に伴う船着き場があったと推定される場所の近くで,最近まで水田として利用されていました。水田の西側には塩田を区画すると思われる石垣が残っています。
調査の結果,調査区の南東側で南北方向にのびる幅1~2m程度の溝(SD1)を確認しました。SD1は塩田を区画する溝の一部と考えられ,調査区の中央部付近で東側に曲がります。調査区は塩田の北西の端に当たる部分と思われます。今後,遺跡の土壌分析なども行って,塩田の様子を明らかにしていきたいと思います。報告書は今年度刊行予定です。
水除浜塩田跡
調査の様子
調査区全景(南東から)
遺跡北側から安芸灘を臨む
調査区(北から)
SD1およびSD2・3(南西から)
SD1断面
調査地点西側の石垣
石鎚権現遺跡(福山市駅家町)
弥生時代の集落の様子が明らかに
【調査期間】令和2年7月20日 ~ 令和3年1月29日
〔調査の概要〕
遺跡は福山市駅家町に位置し,1980年代の調査では,弥生時代の集落跡や前方後円墳を含む古墳時代の古墳群・墳墓,時期不明の土坑墓群のほか,銅鏡などの遺物などがみつかっています。
今年度の発掘調査の結果,竪穴建物跡9軒,墓および貯蔵穴などの土坑約50基,その他に柱穴や溝等を確認しました。
今回の調査で注目されるのは,丘陵上に立地する墳墓群と竪穴建物跡内の貯蔵穴です。
墳墓群は,調査区の最高所の平坦面に16基の墓坑を環状に配置していました。墓坑の形態は長方形と方形で,墓坑を環状に配置した例は広島県では初例となります。土器が出土していませんが,墓坑の形態から屈肢葬と考えられることから弥生時代中期後半より古いと思われます。
SI3は直径約5mの円形の竪穴建物跡で4本柱構造です。建物床面に土坑を4基確認しました。これらの土坑は柱穴と重複しておらず,建物と同時に機能していた可能性も考えられます。建物内に土坑がある例は多くありますが,4基の例は石鎚権現遺跡のほかは大明地遺跡(広島市)の1例のみです。これらの土坑が墓であるか貯蔵穴であるかは,これからの検討課題です。また,SI3の床面整地土を除去した後に,円形の貯蔵穴と考えられる土坑を2基確認しました。貯蔵穴と考えられる土坑は全部で5基確認し,その内4基は建物跡内からみつかっています。土坑の深さは概ね1m程度ですが,SI4内の土坑は床面から約2m掘り込まれていました。
竪穴建物跡9軒のうち4軒は2本柱構造で,SI9は床面上から炭化材が出土しています。
出土した遺物は弥生時代中期後半から後期中頃の時期のもので,後期の土器が多数を占めています。土器以外には土坑から鉄鏃が1点,磨製石斧片,携帯用の砥石,竪穴建物跡周辺から石包丁が出土しています。
今回の調査区は弥生時代後期を中心とした時期の集落跡で,丘陵上に立地する墳墓群と竪穴建物跡の配置など当時の集落のあり方を示していると思われます。今後,既往の調査成果を踏まえて神辺町の平地に立地する集落跡との対比などを検討する必要があります。
石鎚権現遺跡
遺跡のある丘陵
調査の様子
空中写真(南から)
環状の墓坑群
竪穴建物跡SI3内の土坑
SI4内の貯蔵穴
SI9作業風景
SI9完掘状況(東から)