ひろしまの遺跡 第89号 |
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調査の結果,6つの郭(城を守るため造られた平地)と,郭の防御力を高めるための堀切・竪堀・土塁・石垣からなる山城であることがわかりました。本城跡で最も高い所にある1郭は周囲を全て石垣や切岸(人工的に傾斜を急にした部分)で囲み,斜面には竪堀や土塁を築き,郭の出入口は通り道を折り曲がらせて守りを固めており,福原城跡で最も大切な郭だったと考えられます。
福原城跡は,以前から城跡であることは知られていました。しかし,この城について書かれた古文書や文献などは無く,城が築かれ,営まれた年代や城主などはっきりしない謎の多い城でした。 それが,今回の発掘調査で出土した土器から,南北朝時代の14世紀後半にはじめて城として利用され,戦国時代の16世紀頃に石垣を築くなど大きく模様替えをして城の守る力を強め,16世紀後半頃まで使われていたことがわかりました。 また,川という古くからの重要な交通路の分岐点を見下ろす場所にありますが,城の中には造りのしっかりした建物が無く,生活用具もほとんど出土していないことから,普段はあまり利用せず,敵が攻めてきた時だけ立てこもる砦のようなものではなかったかと推測できます。なお,城主については残念ながら今回の調査でも明らかにすることが出来ませんでした。 福原城跡の調査を通して,南北朝時代や戦国時代など戦いが多く社会が不安定な時代に,城を築きあるいは守りを固めて,命や財産を守ろうとした人々の姿が浮かび上がってきました。さらに,この成果を手がかりに,文献資料や今後の周辺城跡との関連性などを調査・研究すれば,このあたりの中世社会のようすも,より明らかにできると考えられます。 (葉杖哲也)
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![]() 福原城跡(黄色の部分が調査範囲) |
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