ひろしまの遺跡 第98号

考古学アラカルト35

弥生時代の丸い住居と四角い住居(下)
―広島県南部の竪穴住居跡を中心に―
 前回に引き続き,竪穴住居跡の平面形について広島県南部での調査報告を調べてみました。今回は安芸南西部(主に広島湾周辺),安芸南東部(主に賀茂台地),備後南部の3地域に分けて第1表を作成しました。なお,第2表は前回掲載した広島県北部の状況で,第1・2表を比べながらみていきます。

 安芸南西部(大竹市・廿日市市・広島市・江田島市・呉市・安芸郡)では64か所の遺跡で合計394軒を確認しました。このうち63か所は広島市内,1か所は呉市内の遺跡で,主に広島湾周辺の様子を示しています。時期別にみると,前期・中期とも方形住居をそれぞれ1軒・4軒確認しました。後期は円形住居が急増して方形住居とほぼ半々の割合になりますが,終末期〜古墳時代初頭には方形住居が60%近くになり,それ以降の方形住居の主流化に繋がるようです。方形住居が終末期ごろから主流になる点は前回みた県北部の動きとは異なっています。


 
円形住居(左)と方形住居(右)(いずれも三原市・小丸遺跡)

第1表 広島県南部の竪穴住居跡軒数(時期別)
    弥生時代
前期
弥生時代
中期
弥生時代
後期
弥生時代終末
〜古墳時代初頭
合計



西
円形住居 0   0   127 46% 41 37% 168 43%
方形住居 1 100% 4 80% 141 51% 66 59% 212 54%
その他・不明 0   1 20% 8 3% 5 4% 14 4%
合計 1   5   276   112   394  




円形住居 0   24 32% 279 67% 52 68% 355 62%
方形住居 0   46 61% 130 31% 23 30% 199 35%
その他・不明 0   5 7% 9 2% 1 1% 15 3%
合計 0   75   418   76   569  



円形住居 0   32 49% 49 51% 4 36% 85 49%
方形住居 0   31 48% 44 45% 7 64% 82 47%
その他・不明 0   2 3% 4 4% 0   6 3%
合計 0   65   97   11   173  


  安芸南東部(東広島市・竹原市・豊田郡)では60か所の遺跡で合計569軒を確認しましたが,全て東広島市内の遺跡であり,賀茂台地での様子を示しています。時期別にみると,前期の報告は確認しておらず,中期では方形住居が61%で主流となっています。後期や終末期〜古墳時代初頭では逆に円形住居が67〜68%と優位になっていますが,古墳時代前半には方形住居が再び優位になるようです。後期から古墳時代初頭まで円形住居が主流となる動きは前述の安芸南西部(広島湾周辺)とは異なる一方,北隣の安芸北部での動きとよく似ています。

 備後南部(三原市・尾道市・府中市.福山市・世羅町)では32か所の遺跡で合計173軒を確認しました。主に芦田川流域の様子を示しています。時期別にみると,前期の報告は確認しておらず,中期と後期では円形住居・方形住居がほぼ半々の割合になっています。終末期〜古墳時代初頭には方形住居が64%と優位になり,それ以降に繋がるようです。終末期ごろから方形住居が主流になる点は県北部や安芸南東部(賀茂台地)とは異なり,安芸南西部(広島湾周辺)に近い動きといえます。

 以上,広島県内で見つかった弥生時代の竪穴住居跡の平面形を5つの地域別にみてきましたが,地域ごとに少しずつ異なる動きがみられました。そのなかで注目されるのが,内陸部(県北部や賀茂台地)と瀬戸内海沿岸(広島湾周辺や備後南部)とで後期以降に対照的な動きがみられることです。すなわち,前者では円形住居が古墳時代初頭まで優位を保つのに対し,後者では後期はほぼ半々の割合で終末期ごろから方形住居の主流化が進んでいます。ちなみに,島田川流域の追迫遺跡(熊毛町)などの山口県東部や岡山県南部および山陰地方の松江・安来平野では後者と似た動きがみられ,後期に方形住居が優位である九州地方の影響が内陸部より早くみられるようです。



 こうした住居形態の移り変わりの背景には人の移動や社会的な圧力などがあるようです。石野博信さんが明治時代の北海道入植者の住居の移り変わりを紹介している中で,親子3代経ても出身地の住居形態をよく残していることから「住居形態はきわめて保守的」であると考えられています。弥生時代でも同様のことが考えられ,広島県の内陸部では瀬戸内海沿岸より文化交流が少ないことが影響して住居形態の変化が進まない一方,瀬戸内海沿岸では山陰地方と同様に他地域との文化交流が活発に行われ,住居形態の変化も進展したと思われます。

  このように弥生社会から古墳社会へ大きく変動する時期に広島県内でも地域ごとに異なる様相があったことを住居の平面形の変化を通して窺うことができました。さらに,住居の構造(柱の数,炉・竃・貯蔵穴などの屋内施設の様子など)や平地住居・高床住居との関係,集落全体の構造などを複合的に捉えることによって弥生社会の変化をもっと詳しく把握することができます。

 2006年春,建築物の耐震強度偽装問題が世間を騒がせ,住いに対する関心が高まっています。そのなかで住いの歴史にも目を向け,そして現在の住いと社会を改めて見直してみませんか。

第2表 広島県北部の竪穴住居跡軒数(時期別)
    弥生時代
前期
弥生時代
中期
弥生時代
後期
弥生時代終末
〜古墳時代初頭
合計



円形住居 12 100% 2 40% 90 71% 15 83% 119 73%
方形住居 0   3 60% 34 27% 3 17% 40 25%
その他・不明 0   0   3 2% 0   3 2%
合計 12   5   127   18   162  



円形住居 2 100% 46 51% 114 74% 69 58% 231 63%
方形住居 0   38 42% 35 23% 49 41% 122 33%
その他・不明 0   7 8% 5 3% 2 2% 14 4%
合計 2   91   154   120   367  
(第1・2表ともに拡張・建て直しのものや推定にとどまるものの軒数も含めていますが,時期不明のものは含めていません。形状や時期は各報告書の記載に依ります。)

広島県周辺の地図

(唐口勉三)
引用・参考文献
石野博信『日本原始・古代住居の研究』吉川弘文館 1990
宮本長二郎「古墳時代竪穴住居跡論」『研究論集[』奈良国立文化財研究所 1989
山口県埋蔵文化財センター編『追迫遺跡』 1988