ひろしまの遺跡 第97号

考古学アラカルト35

弥生時代の丸い住居と四角い住居(上)
―広島県北部の竪穴住居跡を中心に―
 住居には竪穴住居,平地住居,高床住居があります。現代の日本列島では平地住居が主流ですが,古墳時代までは竪穴住居が多かったようです。竪穴住居跡全般についてはアラカルト26「竪穴住居跡の見方」で岩本正二さんが紹介しているので,今回はその平面形に焦点をあててみました。

  竪穴住居跡の平面形には円形(長円形・楕円形を含む。以下,「円形住居」という。)・方形(長方形・隅丸方形を含む。以下,「方形住居」という。)・その他(三角形・多角形・形状不明など)に大きく分けられそうです。

 
円形住居(左)と方形住居(右)(いずれも北広島町・京野遺跡)

  これらの平面形は時代や地域によって変化するようです。徳島文理大学の石野博信さんの論文によると全国的な様子は次のとおりです。まず,旧石器時代は不整形のものがわずかに確認されており,縄文時代になると東日本中心に多くなり円形住居と方形住居が混在しています。そして,縄文時代中期ころから円形住居が多くなり,弥生時代にかけて円形住居が主流になるようです。しかし,古墳時代前期から中世にかけて,方形住居が大半を占めるようになります。なお,たとえば弥生時代後期には,九州は方形住居,近畿は円形住居が主流で,山陰・瀬戸内は円形・方形混在といった地域性が各時代にみられることがあるそうです。
  こうしたなかで,弥生時代から古墳時代の島根県東部の竪穴住居跡について,出雲市教育委員会の高橋智也さんがまとめており,今回その論文をもとに第1表を作成しました。表によると,弥生時代前期はデータ不記載のため不明ですが,中期では出雲平野・松江平野・安来平野とも円形住居が50〜75%を占めています。後期には松江平野・安来平野で円形住居が引き続き50%を超えていますが,出雲平野では方形住居が68%で主流になっています。そして,終末期〜古墳時代初頭にはいずれの地域でも方形住居が主流を占め,特に出雲平野では円形住居が姿を消します。そして,古墳時代前半には松江平野・安来平野でも円形住居が全くみられなくなります。

第1表 島根県東部の竪穴住居跡軒数(時期別)
    弥生時代
前期
弥生時代
中期
弥生時代
後期
弥生時代終末
〜古墳時代初頭
合計



円形住居 -   9 75% 7 32% 0   16 39%
方形住居 -   3 25% 15 68% 7 100% 25 61%
その他・不明 -   0   0   0   0  
合計 -   12   22   7   41  



円形住居 -   4 67% 21 53% 6 26% 31 45%
方形住居 -   2 33% 19 48% 17 74% 38 55%
その他・不明 -   0   0   0   0  
合計 -   6   40   23   69  



円形住居 -   2 50% 21 53% 8 22% 31 38%
方形住居 -   2 50% 18 45% 29 78% 49 60%
その他・不明 -   0   1 3% 0   1 1%
合計 -   4   40   37   81  

 このような島根県東部の状況に対し,南側に隣接する広島県北部の状況はどのようなものかと思い,安芸北部と備後北部に分けて第2表を作成しました。(表には拡張・建て直しのものや推定にとどまるものの軒数も含めたが,時期不明のものは含めていない。なお,形状や時期は各報告書の記載に依る。)
  安芸北部(山県郡・安芸高田市)では26か所の遺跡で合計162軒の竪穴住居跡の報告がありました。時期別にみると,弥生時代前期では円形住居が12軒みつかっていますが,中期では方形住居が半分以上を占めています。後期には再び円形住居が盛り返して70%を超え,終末期〜古墳時代初頭にはさらに円形住居が80%を超える状況になります。古墳時代前半以降は方形住居が80%ほどになるといわれており,古墳時代前半に円形から方形に主流が大きく変わるようです。
  備後北部(三次市・庄原市・神石郡)では34か所の遺跡で合計367軒の竪穴住居跡の報告がありました。時期別にみると,前期では円形住居が2軒ありますが,中期では安芸北部と同様に方形住居が42%まで増えています。後期では円形住居が盛り返して70%を超えています。しかし,終末期〜古墳時代初頭には安芸北部とは異なり,円形住居が60%を割り込み,古墳時代前半にさらに減少する傾向になっています。

第2表 広島県北部の竪穴住居跡軒数(時期別)
    弥生時代
前期
弥生時代
中期
弥生時代
後期
弥生時代終末
〜古墳時代初頭
合計



円形住居 12 100% 2 40% 90 71% 15 83% 119 73%
方形住居 0   3 60% 34 27% 3 17% 40 25%
その他・不明 0   0   3 2% 0   3 2%
合計 12   5   127   18   162  



円形住居 2 100% 46 51% 114 74% 69 58% 231 63%
方形住居 0   38 42% 35 23% 49 41% 122 33%
その他・不明 0   7 8% 5 3% 2 2% 14 4%
合計 2   91   154   120   367  

 このように,弥生時代前期から後期にかけて安芸北部・備後北部とも同じような傾向がみられますが,終末期〜古墳時代初頭には異なる様子になります。そして,古墳時代前半以降には全体的に方形住居が主流になるようです。
  今回,弥生時代の竪穴住居跡の平面形について広島県北部を中心にみてきました。そのなかで後期から古墳時代初頭にかけて広島県北部では円形が主流ですが,島根県東部では方形が主流になるといった地域差が明らかになりました。特に終末期〜古墳時代初頭に出雲平野で円形住居が姿を消すのに対し,安芸北部では円形住居が80%を超すといった対照的な様子がみられました。この時期は弥生時代の社会から古墳時代の社会に大きく変動する時期であり,住居の形からもその一端を窺うことができそうです。次回は引き続き竪穴住居跡の平面形について広島県南部を中心にみていきます。

広島県・島根県の地図

(唐口勉三)
引用・参考文献
石野博信『日本原始・古代住居の研究』吉川弘文館 1990年。
高橋智也「出雲における竪穴建物跡小考―弥生時代から古墳時代の平面形態―」『山口大学考古学論集―近藤喬一先生退官記念論文集―』 2003年。