ひろしまの遺跡 第92号

考古学アラカルト32

広島県内出土の下駄
 「明日,天気になあれ!」といいながら,我が家の子どもたちも時々サンダルを蹴り上げています。ただ,サンダルは大概,上に向くようになっているらしいといつぞやラジオで聴いたことがあります。(真偽のほどはわかりませんが・・・)私も年少の頃に下駄を蹴り上げて天気を占っていたことをなつかしく思い出します。このように,ごく最近まで身近にあった下駄はいつ頃から使われるようになったのでしょうか?広島県内での下駄の出土状況を探ってみたいと思います。
 下駄はその構造から大きく台部と歯部からなります。下駄を分類するとき,歯部の有無で分け,歯部が有るものについてその作り方から大きく2種類に分けることができます(ここでは歯部が無いものは除外します)。すなわち,台部と歯部を1つの木から一体として作り出すもの(いわゆる「連歯下駄」など)と,台部と歯部を別々に作り,それらを組み合わせるもの(いわゆる「差歯下駄」など)があります。このほか,台部や歯部の形によって細かく分類することができます。ここでは連歯下駄と差歯下駄の出土状況をみていきます。
 最近,調べたところでは県内出土の下駄は出土地名表のとおりで,14か所・659点報告されています。その分布は県南部に偏っており,その地域の低湿地の遺跡から多く出土しています。木製品であるため丘陵上など乾燥した環境では遺存しません。そのため,県北部でも低湿地の調査が進めば,下駄などの木製品の出土も増加するでしょう。

 連歯下駄は11か所で522点出土しており,その分布は地図のとおりです。連歯下駄は古代から近世を通していつの時代でもよくみられます。古代では備後国府跡推定地や駅家と推定されている下岡田遺跡など役所関係の遺跡から出土しています。中世では草戸千軒町遺跡・尾道遺跡・郡山城下町遺跡・吉川元春館跡など集落跡や城館跡から出土しています。特に草戸千軒町遺跡では463点が報告されています。中世の頃から下駄が日常生活に浸透していった様子がうかがえます。近世では広島城跡やその周辺の遺構から出土しています。
 差歯下駄は5か所で108点出土しています。その分布は地図のとおりで,5か所のうち4か所は県南部に所在しています。差歯下駄は県内においては中世から近世の遺跡で出土しており,中世以前ではみられません。中世では草戸千軒町遺跡・尾道遺跡・吉川元春館跡などの集落跡や城館跡から出土しています。差歯下駄もこの頃から日常生活で使われるようになったようです。近世では広島城跡やその周辺の遺構から出土しています。
 その他の下駄(連歯下駄や差歯下駄以外のもの又は形態不明のもの)は6か所で29点出土しています。主に中・近世の遺跡でみられます。
 出土下駄の全国的な傾向について,日本はきもの博物館の市田京子さんによると,中世より以前は連歯下駄の一種類だけがみられ,中世に入って差歯下駄などが出現し,江戸時代にさらに多様な形態の下駄が登場し,一般の日常生活に浸透してくるようです。広島県内でも同じような傾向がみられます。
 ごく身近なはきものである下駄は多様な形態があり,それぞれ出現する時期も異なり,形・寸法などの変化も違うようです。また,下駄以外に草履や草鞋などいろいろなはきものがありますが,それぞれ異なる歴史があるようです。2003年春,不安定な世相のなかで足元のはきものから歴史を見つめ,現在の生活を見直してはいかがでしょうか。
(唐口勉三)
連歯下駄(複製) 差歯下駄(複製)
いずれも草戸千軒町遺跡出土(写真は広島県立歴史博物館提供)

参考・引用文献
市田京子「江戸時代の下駄」『江戸文化の考古学』吉川弘文館
2000年p.26〜54
広島県立歴史博物館『草戸千軒町遺跡出土の下駄』1997年



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