ひろしまの遺跡 第92号

遺物ピックアップ
県内2例目の鋸が出土-植谷古墳-
鋸(下はX線写真)

 植谷古墳は,高田郡高宮町佐々部に所在する横穴式石室を埋葬施設とする古墳です。古墳は,道路工事に伴う法面掘削によりほとんど失われており,わずかに石室の基底石のいくつかが残存する状態でした。
 しかし,床面は比較的良好な状態であったため,土器や鉄器など多くの遺物を検出することができました。遺物は,須恵器と鉄器が玄室の奥壁近くと中央部,玄室入口付近の棺台石の周辺に集中していました。
 時期は,出土した須恵器から6世紀末に築造され,その後,7世紀初頭にかけて追葬が繰り返されたものと考えられます。
 遺物の内訳は,須恵器で完形またはほぼ完形に近いものが61点(杯蓋・杯身・高杯・・小型壺・提瓶),鉄器が61点(鏃・刀子・刀・・鋸・轡・不明品),石器が1点(軽石)でした。 
 そのなかで特に注目されるのが鋸でした。県内では双三郡三良坂町の稲荷山D-2号古墳に続いて2例目の出土ですが,玄室内から出土したものとしては初めてのケースでした。
 発見したときは7つの断片に分かれていましたが,接合してみると,長さが17.4cmと5.5cm,幅がいずれも1.65cm,背厚が0.2cmの短冊状の2個体となりました。しかし,これらは出土状況から同一個体のものであると考えられます。
 鋸は片歯鋸で,形状はやや内湾する帯状の鉄板の片側に,二等辺三角形の素歯が切られており,両端に目釘穴がありました。
 他県での例としては,4世紀の岡山県の金蔵山古墳と栃木県の那須八幡塚古墳から同様のものが出土していますが,時期的に新しい6世紀末から7世紀初頭の本古墳で発見されたことは注目に値するものといえます。

わずかに残っていた石室の基底石
(南東から)


基底石と遺物の出土状況(南西から)


玄室奥壁近くと中央部の
遺物出土状況(南東から)

 本古墳と出土した鋸との関係についてですが,鋸は被葬者に対するシンボル的な副葬品とも考えられます。しかし,鋸鍛冶の吉川金治氏が金蔵山古墳の鋸を復元し,実証を試みた結果,「この鋸は鹿角,獣骨などを挽いたもので,歯が比較的粗いので動物が死んであまり時間が経過しないうちに使用されたものではないか。」と指摘していることを参考にすれば,実用品としての鋸を副葬したものとも考えられます。
 いずれにしても,出土例が少ない現状でははっきりしたことはわかりませんが,今後の類例の増加により,副葬品としての鋸の意味も明確になるものと思われます。
(松崎 哲)

鋸の出土状況(北東から)




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