ひろしまの遺跡 第91号

考古学アラカルト31

埋蔵文化財と阪神・淡路大震災
 平成7(1995)年1月17日午前5時46分,兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生し,多くの建物,道路等が壊滅状態になるとともに,多くの人命が失われたことは記憶に新しいところですが,また時の流れとともに風化されつつあります。 あれから7年,そして8年がこようとしています。
 当時,文化財の被害も甚大で重要文化財45件,兵庫県指定文化財54件,重要伝統的建造物群保存地区など大きな被害がありました。神戸市を中心にその周辺や阪神間の各都市などの地下には多くの遺跡(埋蔵文化財)が存在し,通常では工事の前の発掘調査が必要なことは言うまでもありません。埋蔵文化財にとっては前代未聞の緊急事態です。しかし,先ずはライフラインの復旧・復興,被災者の住宅問題などが先決問題でした。
 文化庁は,当面,ライフラインの確保,瓦礫撤去,仮設住宅建設等の土木工事に伴う届け出は不要である旨の通知を出し,これからの対応をどうするかという検討が兵庫県との間でなされました。
 周知の埋蔵文化財包蔵地での被災状況は10市10町に及び,被災状況もさまざまでしたが,復旧・復興事業に関しては,埋蔵文化財の取扱いについて緩和措置がとられることが,3月,文化庁から次のように通知されました。
1 発掘調査は,工事の掘削が地下遺構を破損する場合(範囲)に限って実施する。
2 基礎工事が地下遺構の途中で終了する場合でも,それ以下の遺構については調査を実施することなく,地下保存する。
3 基礎工事が地下遺構に達することなく破損しない場合は,発掘調査を必要としない。
4 復興事業が開始されるまでに,調査を完了する。
 また,発掘調査費用についても国庫補助の裏付けがなされ,復旧・復興事業に伴う発掘調査や確認調査が進行していきました。要はこの緊急事態でも発掘調査を実施して,私たちの祖先の歩みを記録に残し,そして継承していこうということです。
 10市10町に及んだ周知の遺跡の被災状況は280遺跡,約250ha,これらの中での復旧・復興工事の件数が膨大になることは予想されました。被災後5年間は文化財保護法適用外とまでいわせたこの未曾有の事態に,この決断をした,させた,このことは文化財保護法の制定以来,埋蔵文化財保護の取り組みが,地域に少しでも還元できればという私たちの先輩方のこれまでの一歩一歩の積み重ねの成果であることはいうまでもありません。
 こうして始まった,また始まろうとした復旧・復興事業に,兵庫県や当該市町村の埋蔵文化財調査体制だけでは対応しきれるものではありませんでした。
 平成7年6月,兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所には復興調査班が設置されました。そして,北は青森県から南は鹿児島県までの全国自治体からかけつけた人たちは,平成7年度上半期25名,下半期35名,平成8年度50名,平成9年度25名で,平成10年3月までの3年間で延べ121名の復旧・復興事業に伴う発掘調査に携わる支援職員が,1都2府33県4政令指定都市から兵庫県に派遣されました。ちなみに,広島県及び広島市では平成7年度下半期から平成8年度までに延べ4名を派遣支援しました。
 これらの支援職員の多くは,半年間や1年間での交替が多かったものの,家族同伴の人,単身の人,近隣からの通勤の人といろいろでしたが,みんな「役にたちたい,たてれば・・」という何がしかの思いをもって兵庫県に赴任していきました。これらの支援職員の中には,大半の期間(約3年間)を兵庫県の職員として復興支援に当たった方も数名存在します。
 支援職員が携わった調査は,仮設住宅に入居している人たちの早期帰還を目的とした集合住宅建設等に伴うものが多く,建築構造物の遺構への深度影響の制約はあるものの,調査期間等にも最大限配慮されたもので,兵庫県の職員の方々の苦労はいかばかりであったか想像にかたくありません。
 復旧・復興事業に伴う発掘調査とはいえ,貴重な発見も数多くあり,現地見学会が開催されたところもありました。
 復旧・復興の調査は平成8年度にピークをむかえ,9年度には落ち着きをみせ減少傾向となり,当初予想された区画整理事業の展開の遅れなどから,支援職員の派遣による調査は平成9年度までで終了しました。
 兵庫県は震災を経験し,同時にその緊急時の文化財保護行政のありかたを経験しました。今日,支援職員の受け入れのこと,調査体制のこと,調査成果の公開,報告書刊行のことなどいろいろな反省や課題をもっていることは確かでしょう。しかしながら,あの緊急事態のなか,決して埋蔵文化財が切って捨てられることなく,そして大プロジェクトチームを組織し埋蔵文化財保護への取り組みに挑戦し,少なからずまっとうできたことは,法的緩和措置,財政的援助,人的支援など大きな要因はあるにしろ,それを引き出し得たのは兵庫県の職員の方々の前向きな大きな努力と,これまで地域にある文化財を守り続け,継承してきた先輩方の足跡の上に成り立っていることは間違いありません。そして決してそれを踏みにじるようなことがあってはなりません。
 なにごとも事が起こって,ああすればよかった,こうすればよかったと反省はあるものの,一過性であり風化してゆくことが多い中,この震災で兵庫県が経験し継承している多くのことは,今日の埋蔵文化財保護行政への対応に平常時においても多くの示唆を与えてくれています。
(青山 透)
参考文献 『震災を越えて「阪神・淡路大震災と埋蔵文化財」シンポジュウムの記録』
編集:「阪神・淡路大震災と埋蔵文化財」シンポジュウム実行委員会
発行:奥間祥行 株式会社エピック 2001年



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