ひろしまの遺跡 第89号 |
広島県の土器製塩 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
縄文時代から平安時代は,塩作りに,海水を濃くするのに海藻を,煮沸・焼塩をするのに小型の土器を使っていました。塩作りの土器は鉢・甕形が多く,薄く作られ,文様もほとんどありません。塩分の濃い液を入れて煮沸したり,塩を焼いたりするため,赤く焼けたり,ひび割れたりして,細かな破片になっています。また,できあがった塩の形は粉末状ではなく固形になることが多かったと考えられます。こうした土器を「製塩土器」と呼び,土器を使用する塩作りを「土器製塩」と言います。 そこで,「製塩土器」を探してみますと,瀬戸内の海岸部でたくさん発見されています。広島県では,海岸部の遺跡として,現在は約50箇所見つかっています。 瀬戸内で最古の製塩土器は,現在では,弥生時代中期後半(紀元前1世紀末頃)に岡山県児島地域(かっては島)で見つかっています。芸予諸島地域では,弥生時代中期末頃に出現しています。愛媛県北条市の椋の原清水遺跡(高地性集落)の製塩土器が弥生時代中期末のもので,この遺跡は塩を作った遺跡ではありませんが,近辺の塩生産地から製塩土器が持ち込まれたものでしょう。広島県内では,まだ見つかっていませんが,愛媛県に製塩技術が伝わるルートは,岡山県の児島を含む岡山県南部から広島県の東南部を経て「しまなみ海道」を通ったと考えられますので,そのうち見つかるかも知れません。
また,海から離れた内陸部から製塩土器が見つかることがあります。庄原市・三次市や東広島市の遺跡からの出土例が多く報告されています。内陸部の遺跡で塩を作った訳ではないので,製塩土器は海岸部で作った塩を運ぶ容器の役目をしたと考えられます。古墳時代中頃(5世紀後半)から奈良時代(8世紀)の時期が主で,集落遺跡や官衙・寺院跡あるいは古墳などから出土しています。 (岩本正二)
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広島県における製塩土器出土遺跡分布図 |
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広島県内の製塩出土遺跡地名表
分布図・地名表(古瀬清秀「広島県」『日本土器製塩研究』1994年を基に一部変更)
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