ひろしまの遺跡 第80号

まいぶんトピックス 接合資料ができるまで

 昨年の秋以降に,新聞やテレビで,冠遺跡群の「日本最大」の石器接合資料のニュースがとりあげられました。当センターでは,11月21日に行った「ひろしまの遺跡を語る」でこの接合資料を公開し,その後,県教育委員会によって吉和村や佐伯町,福山市,三次市,広島市での展示が行われました。多くの方々に「日本最大」の石器接合資料を見ていただいたものと思います。

 これまでにも何度かこの「ひろしまの遺跡」でもとりあげてきた冠遺跡群ですが,今回はニュースや展示でお見せできなかった「日本最大」の石器接合資料の整理がどのようにして進んだかについて紹介したいと思います。

 接合資料について皆さんから寄せられた感想の中で最も多かったのが,「こんなにたくさん石をくっつけるのは大変だったでしょう?」というものでした。そこで,


〜どのようにして石器の接合資料ができたのか,順を追ってみてみましょう〜
1.遺跡からもって帰った遺物を一点一点,水で洗います。80kgを超える大きな石から0.1gにも満たない小さな石のカケラまで,全部で約9000点ありました。
2.乾いたら,石の表面にニスを塗ります(ニスを塗る位置にも「こだわり」があるんですよ)。その上にその遺物の出土した地点などのデータを記入します。この作業のことを「ネーミング」または「注記」と呼んでいます。約1000点ありました。

「洗浄」の作業展開

「注記」の作業風景

「注記」した石。

3.いよいよ,接合作業開始です。石器の接合とは,割ったり割れたりして,別々になった石と石を, 元々くっついていたように復元することです。
この作業はいってみれば「立体のジグゾーパズル」ですが,なかなか思うようにくっついてはくれません。 全部が必ずしもくっつくわけではなく,完全に元の石の形に復元できるかどうかもわかりません。
非常に難易度の高い「パズル」なんですね。


今回の資料に
接合した石たち。
これらがもとは
全て1つの石であった
ことになります。
 


〜皆さんの質問から〜
 この接合資料を見られた方から「こんな大きなものを何に使うたんじゃろうか?」という質問も多く受けました。この接合資料は「何かに使った」というよりも石の道具を作る際にできた,いわば石器作りで割った「残りカス」なんです。なかには道具として使えそうな石器も接合していますが,仕上がりの具合が気に入らなかったのか,その場に捨てていったようです。現代流にいえば「3万年前の産業廃棄物」といったところでしょうか。
(久下 実) ○の所に石器が多く
接合しています。


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