ひろしまの遺跡 第79号

 ドライブで海へ行くと海岸や防波堤で釣りを楽しんでいる人を見かけたりします。山間部へ行くと川や池などで釣り人に出会います。このように釣りをしている人をよく目にするわけです。さらに,テレビでは釣り番組,ゲームセンターでは釣りの体感ゲームがあります。これらのことから,世の人々の釣りへの関心は高いといえるでしょう。餌や仕掛けを工夫し,狙った魚がかかったときの手応えは,釣りならではの醍醐味です。しかし,魚を捕る方法には竿を使う釣りだけでなく,銛やヤスで魚を突いたり,網を使って魚を捕るなどの様々な方法があります。
 さてそれでは昔の人はどんな方法で魚を捕っていたのでしょうか?
 現在とほとんど変わらない方法で魚を捕っていました。鹿の角や骨を加工して作った釣り針や銛,ヤスなどは縄文時代から使われています。  現在調査中の油免遺跡では,魚を捕るときに使ったと思われる石の錘(石錘)が見つかりました。これらは,形から3つのタイプに分けることができます。扁平な川原石の長軸を打ち欠いたもの(打欠石錘),長軸に切れ込みをいれたもの(切目石錘),溝が一周するもの(有溝石錘)の3つです。
 打欠石錘,切目石錘は縄文時代を中心に網の錘として使ったと考えられており,油免遺跡以外にも県内各地で出土しています。しかし,石錘をつけた網は県内だけでなく,全国においても見つかっていません。

川沿いの集落跡・油免遺跡
弥生時代後期から古墳時代中期を中心とする集落跡ですが,縄文時代から江戸時代までの遺物や遺構も見つかっている。

油免遺跡出土の石錘
左から,打欠石錘・切目石錘・有溝石錘
油免遺跡
(三良坂町)
久代東山岩陰遺跡
(東城町)

 網は紐や綱でできており,これらは傷みやすく,長い年月のうちに風化して無くなってしまうのです。しかし,どのような網を使ったのか知る手掛かりが全くないわけではありません。網自体は見つかっていませんが,網に石錘をいくつつけたのか推定できる出土例があります。14個の切目石錘が一括で出土した久代東山岩陰遺跡(縄文時代後期)です。出土状態から石錘をつけたまま網が置かれていたようです。この遺跡の人たちは切目石錘が14個ついた網を使って,魚を捕っていたのでしょう。
 打欠石錘,切目石錘は,土錘と呼ばれる素焼きの錘が弥生時代に登場してくると,次第に姿を消していきます。なお,土錘はほとんど形も変わることなく,現在でも投網などの錘として使用されています。
  油免遺跡出土の有溝石錘は,弥生時代後期もしくは古墳時代前期のもので,溝の幅が狭く,深いことから細い糸を巻き付けたと考えられます。また,このタイプの有溝石錘は一つの遺跡で複数出土することがほとんどありません。以上のことから,釣りの錘として使った可能性があります。
 魚を捕るには魚の性質を知ることが大切です。昔の人は,その性質を見抜き,様々な捕り方を編み出しました。釣針が鹿の角や骨から金属に,錘は石から焼き物,金属へと変わりました。しかし,魚の捕り方は現在もほとんど変わりません。昔の人の知恵と工夫が現在にも形を変えず残っているのですね。

 (渡邊 昭人)

参考文献
広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室「帝釈峡遺跡群発掘調査室年報X」1995年

遺跡位置図
(国土地理院発行地形図の一部使用)
土錘の昔と今
左は油免遺跡出土の土錘,
右は現在も使用されている土錘