ひろしまの遺跡 第77号

 考古学アラカルトも17回目を数えることになりました。そこで今回は目先を変えて,中国大陸の西北地区との関わりについて紹介してみようと思います。
 弥生時代人のルーツを中国大陸に求めて調査を進めている人たちがいます。山口県豊北町にある土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下孝幸館長をリーダーとする人類学チームです。ミュージアムでは1994年から3年間,中国山東省で調査を行った結果,土井ヶ浜遺跡の弥生人の先祖は古代山東省人も可能性の一つとして考えられると結論づけられました。そこで,松下館長はさらに山東省人のルーツとして黄河の源流がある青海省に目を向けられました。青海省は黄河だけでなく,長江の源流でもあり,この二つの大河に育まれて,中国の古代文明は展開してきました。そして,その影響は日本にも深く及んでいます。現在,松下チームは中国社会科学院考古研究所の韓康信教授とともに,青海省大通県上孫家寨遺跡などから出土した人骨を調査中ですが,それによって,やはりこれらが山東省人の骨格に極めて近いものであることが証明されつつあります。
 ところで,松下館長が乗り出した青海省の黄河及びその支流である湟水流域は,中国新石器時代の彩陶(彩文土器)文化が育まれたところでも有名です。彩陶が初めて発見された1920年代初めには,彩陶文化は西方から中国へもたらされたものではないかと考えられましたが,新中国成立後,中国人考古学者らによる発掘調査を通じて,現在では彩陶は中国独自の文化であるという説がどうやら定説化されているようです。しかし,今も確たる結論づけはなされていません。
 彩陶は文字通り土器の表面に鉄やマンガンなどの顔料で,黒や赤色に文様が描かれたもので,幾何学文や動物文・植物文などが一般的ですが,近年,上孫家寨遺跡やその南の同徳県宗日遺跡の墓から,人々が手をつないでダンスをしている図柄の彩陶が発見されました。これは今までに見られなかったものであり,彩陶に秘められた精神文化を考えるうえでの貴重なテーマともなります。また,宗日遺跡からは西方の文様に通じるような鳥文壺も発見されています。こうしたことから彩陶文化については,西方からの影響について再度考え直してみる必要があるように思われます。
 彩陶は住居址でも多く出土しますが,それ以上に大量に出土するのが墓地です。青海省湟水流域の柳湾墓地では,今から5,000年から3,000年前にかけての墓が約1,500基発見され,そこからは副葬土器が13,227点出土し,そのうち彩陶が 7,109点でした。こうしたことから彩陶は,生活用具としても作られたでしょうが,むしろ多くは死者への葬送具として作られ使われたと考えた方がよいように思います。
松下孝幸館長の調査風景
韓康信教授の撮影風景
 実際柳湾墓地における人々の平均寿命は約37歳で,死者の全体 の4分の1が青年・壮年者,約半数が未成年者で,そのうちの半分が幼児であると韓教授は報告されています。
 こうしてみると新石器時代にはいつもどこかで頻繁に人が生まれ,人が亡くなっていたようです。そのため古代の人は死生観,宗教観を極めて身近に感じながら生活していたと思われます。

柳湾墓地出土の彩陶
青海省文物考古研究所蔵

人々が亡くなって埋葬墓には,必ずといってよいほど彩陶が副葬されています。そしてその中には穀類の粟などが入れられ,動物の骨などがみられるものもあることから,そうしたものを一緒に埋葬することにより,死地での生活の安泰を祈り,死者の再生を願ったものと考えられます。
 松下チームは形質人類学の立場から日本の弥生時代人のルーツを追い求めておられます。その一方で,頭蓋骨に包まれた脳ミソのなかで古代人がなにを考え,なにを求めていたのかを,彩陶文化を通じて探っていくと,広島県内の弥生時代の墳墓関係の遺跡に直面した際に,意外なヒントを与えてくれるものがあるかもしれません。
舞踏文様の鉢(上孫家寨遺跡出土)
青海省文物考古研究所蔵
 

平凡社『世界大百科事典』から一部抜粋