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発掘調査ニュース

平成23年度 発掘調査ニュース

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大柳(おおやなぎ)遺跡(世羅郡世羅町)

【調査期間】平成23年5月9日~8月26日

中世荘園の領域内で石積基壇や瓦葺建物を伴う祭祀遺構を発見

〔調査の概要〕

 大柳遺跡は中世荘園として全国的に有名な高野山領大田荘の領域内にあり,遺跡周辺には現在でも五輪塔など数多くの石造物が存在しています。

 今回の調査で確認した主な遺構は,山の南側斜面の背面を削ってつくった平坦面(上段・中段・下段)と平坦面から見つかった基壇です。

 中段の平坦面中央からやや西側では,一辺約1.8mの独立した基壇1を確認しました。基壇の周囲からは軒瓦がまとまって出土しており,一間堂のような建物があったと考えられます。

 基壇の内部からは,鍋や鉢の他に,古銭18枚・土師質土器の皿13枚・鉄釘6本が出土しました。また,石組み直下の土坑からは,底部に鉢を置きその上に蓋をするように数点の土師質土器の皿が置かれており,当時の信仰・儀礼や墓制を示唆する貴重な遺構と考えられます。

 下段の平坦面からは,軒瓦を含む瓦群が斜面裾部にほぼ平行して幅約60cm長さ約5mにわたって重なるような状態で出土しました。また,長辺約3.6m,短辺約2.4mの外面を揃えて配石された建物の基壇2を確認しました。

 出土した土器や五輪塔などは,主に室町時代頃のものと考えられます。

  • 遺構配置図
    遺構配置図
  • 瓦と石塔類の出土状況
    瓦と石塔類の出土状況
  • 基壇1
    基壇1
  • 基壇1の土器出土状況
    基壇1の土器出土状況
  • 基壇2の古銭・土器出土状況
    基壇2の古銭・土器出土状況
  • 空中写真
    空中写真
  • 石仏
    石仏

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岡野原(おかのはら)・小迫(こさこ)遺跡(竹原市田万里町)

【調査期間】平成23年4月11日~7月22日

弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての集落を調査

〔調査の概要〕

 岡野原遺跡と小迫遺跡は,田万里川を南に望む丘陵斜面の水田地帯に立地しており,農業基盤整備事業に伴って発掘調査を実施しました。

 岡野原遺跡は調査区が5地区に分かれ,2区で弥生時代後期の土坑と4区で古墳時代の竪穴住居跡が6軒と土坑4基,溝4条が確認できました。6軒の竪穴住居跡のうち2軒は,同じ場所に重なって建てられており,古い住居が廃棄された後,新しい住居が建てられたことがわかりました。新しい住居跡は一辺が約6mの方形で4本の柱で屋根を支える構造で,床面から古墳時代前期の土師器の甕が出土しました。

 他の4軒の竪穴住居跡の時期は,古墳時代後期頃と考えられます。土坑と溝は遺物が出土していないので時期は不明です。

 1・3・5区は現在の水田を造成する前の谷地形が確認できました。 今回の発掘調査によって,1~3区と4・5区の間に小さな谷が存在し,この谷を囲んで弥生時代後期から古墳時代にかけて断続的に集落が営まれていたことがわかりました。

 小迫遺跡からも弥生時代と考えられる直径約3mの竪穴住居跡が1軒と中世と考えられる土坑1基,掘立柱建物跡等の柱穴が十数基確認できました。

 両遺跡から出土した弥生土器は,東広島市域の土器とよく似ており,弥生時代の田万里地域が西条盆地と同一文化圏にあったものと考えられます。一方,岡野原遺跡4区の住居跡から出土した古墳時代前期の土師器の甕は,山陰地方から広島県北部にかけて出土する土器と似ていることから,古墳時代になると北部からの影響もあったことが考えられました。こうした土器の特徴の相違は,田万里地域の当時の文化や交易のあり方の変化を推定する上で貴重な資料と考えられます。

  • 空中写真
    空中写真
  • 全景
    全景
  • 土器の出土状況
    土器の出土状況
  • 住居跡
    住居跡

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御領(ごりょう)遺跡(第4次)(福山市神辺町)

【調査期間】平成23年4月11日~10月7日

弥生時代から古墳時代の住居や建物跡,溝などの集落構造を確認

〔調査の概要〕

 御領遺跡は縄文時代から中世の集落遺跡で,その規模は南北1.4㎞,東西1.6㎞の範囲に広がっており県内でも有数の規模を持つ遺跡です。

 遺跡の北端に備後国分寺が所在し古代~近世にかけては山陽道(西国街道)が東西に走り,現在でも国道と県道が交差する交通の要衝となっています。

 発掘調査は,国道313号改良事業に伴い平成20(2008)年から継続して実施しており,今回で4次目になります。調査区は北東側から順にA~C区としました。

 A区では竪穴住居跡10軒,掘立柱建物跡2棟,溝状遺構5条,土坑4基,その他多数のピットを検出しました。竪穴住居跡には平面形が円形と方形の2種があり,円形は概ね弥生時代後期頃,方形は古墳時代中~後期頃です。円形の竪穴住居跡には中央部の土坑を挟むように柱穴が対峙する2本柱構造のものもありました。溝状遺構(SD1)は東西方向に長さ25m・幅1.8m,断面は概ねU字形で,調査区外に延びると思われる。溝の内部からは中位付近から弥生時代末から古墳時代初め頃の土器類が多量に出土しました。

 B区ではピットと流路痕跡を検出しました。流水痕跡は幅15mで,北東端から南西端に続き,中央部がやや東側に張り出しています。深さは約1.3mで,上面に弥生時代~古墳時代にかけての遺物が出土しました。

 C区では竪穴住居跡1軒,掘立柱建物跡5棟,溝状遺構6条,土坑10基,ピットを検出しました。掘立柱建物跡は調査区の中央部から南東寄りに5棟まとまってあり,建物の向きはほぼ東西南北に平行しています。ほぼ同じ時期(奈良時代頃)の建物跡と考えられます。また,土坑は径1m程で深さは1~1.5mで底面近くに土器が設置されたように出土したものもあります。

 本遺跡に住んだ人々は沖積地としての特徴を利用しつつ,河川を制御していたと思われ,今回調査した地点では,このような集落と土地の管理を考える上で,貴重な資料が得られました。

  • 竪穴住居跡
    竪穴住居跡
  • 調査風景1
    調査風景1
  • 調査風景2
    調査風景2
  • 土器出土状況
    土器出土状況

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