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発掘調査ニュース

平成22年度 発掘調査ニュース

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常納原(つねのうばら)遺跡(第2次) (庄原市西城町)

【調査期間】平成22年6月7日~8月25日

縄文時代早期の押型文土器,縄文時代の石鏃などを確認

今年度 (第2次) 約7,500㎡の発掘調査が終わりましたので,遺跡報告会を実施します。
詳細は「行事のご案内」の「常納原遺跡報告会(H22.9.12)」をご覧ください。

〔調査の概要〕

常納原遺跡は西城町八鳥の西城川東側の丘陵上に立地します。丘陵では大正時代末~昭和時代初めに開墾が行われており,現状はその大部分が水田です。

昨年度(第1次)は,庄原市教育委員会と埋蔵文化財調査室とあわせて,約2,500㎡を調査しました。このうち調査室は約1,500㎡を発掘し,古墳時代を中心にした竪穴住居跡 (8軒),掘立柱建物跡 (2棟),土坑 (15基) ,溝 (5条) ,性格不明遺構 (3基) ,柱穴などを確認しています。

竪穴住居跡からは,山陰地方に見られる大型の甑形土器が出土しています。また鍛冶炉と考えられる大規模な土坑も検出しました。さらに鉄滓や鉄鉱石が出土していることから,本遺跡あるいは周辺の遺跡で,鉄生産が行われていた可能性が高いと思われます。

今年度(第2次)は,遺跡の南端にあたる約7,500㎡を調査しました。北側ではピット (柱穴状の小穴) が多数,南側では落とし穴を2基,全面にピットが密集した状態でみつかっています。

ピットが確認できた面で縄文時代早期の押型文土器の底部,縄文時代の石鏃 (黒曜石製と安山岩系の石材) 2点,ピットから縄文土器片と思われるものが数点出土したほか,整地土から近世の陶磁器が出土しています。ピットはおもに縄文時代と考えられますが,埋土が5種に分類できたことから,時期も縄文時代を含めて5時期程度に渡っていると考えられます。

常納原遺跡は,昨年度に庄原市教育委員会が調査した場所から,弥生時代後期 (3世紀後半) と考えられる遺物が出土していることから,3世紀後半から古墳時代後期(6世紀後半)までの長期間,集落が営まれていることが明らかとなりました。特に古墳時代後期頃には,鉄鉱石を原料とする鉄生産が行なわれていた可能性が高く,遺跡周辺に存在している横穴墓から,山陰地方との関連が注目されます。

  • 丘陵上の遺跡の調査風景
    丘陵上の遺跡の調査風景
  • 調査風景。手前左はピット群
    調査風景。手前左はピット群
  • 検出した縄文時代の落とし穴
    検出した縄文時代の落とし穴
  • 出土した山陰型甑形土器
    出土した山陰型甑形土器

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御領 (ごりょう) 遺跡 (第3次) (福山市神辺町)

【調査期間】平成22年7月5日~9月中旬

弥生~古墳時代の大小の溝を発見!!

今年度の調査区は遺跡の南西半に位置し,7月5日から9月中旬の予定で調査を行っていますが,遺跡の概要がわかってきましたので,遺跡見学会を9月4日(土) に実施します。詳細は「行事のご案内」の「御領遺跡見学会(H22.9.4)」をご覧ください。

〔調査の概要〕

この調査は,国道313号道路改良事業に伴う発掘調査です。御領遺跡は福山市神辺町下御領一帯から上御領南部にかけて,東西1.6㎞,南北1.4㎞の範囲に位置する,縄文時代後期から中世にかけての集落遺跡です。

今年度の調査区は2つの調査区(3A区・3B区)に分かれています。3A区では,昨年度の調査区西端で確認された溝の続きの北東から南西に延びる溝が検出され,残存規模は幅5m,深さ80cm程です。出土遺物は,上層から古墳時代の須恵器や土師器の破片と共に,手づくね土器が,下層から弥生土器や木製品が出土しています。

そのほか,古墳時代後期の溝や,布目の丸瓦が出土している条里的地割との関係があるとも考えられる南北方向の溝2条が見つかっています。井戸の可能性がある土坑は,平面形が円形で,古墳時代初頭の土師器がまとまって出土しています。

3B区では,北東から南西方向で,北西に緩やかに湾曲する大小の溝が並行して見つかっています。溝からは大量の木材が出土しています。須恵器・土師器が出土し,古墳時代と考えられます。

  • 3A区の調査風景。左奥は昨年度調査区
    3A区の調査風景
    左奥は昨年度調査区
  • 検出した幅約5mの大きな溝 (3A区)
    検出した幅約5mの大きな溝
    (3A区)
  • 古墳時代初頭の土師器がまとまって出土した土坑 (3A区)
    古墳時代初頭の土師器が
    まとまって出土した土坑 (3A区)
  • 溝の中から出土した大量の木材(3B区)
    溝の中から出土した大量の木材(3B区)

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曲 (まがり) 第2号古墳(庄原市口和町)

【調査期間】平成19年度調査

全国的にも珍しい短甲を特別公開

(※特別公開は9月5日で終わりました。)

当埋蔵文化財調査室による曲第2号古墳(庄原市口和町)の発掘調査で出土し,保存処理・復元を終えた鉄製の短甲が,広島県立歴史民俗資料館(三次市小田幸町)で開かれているスポット速報展示「広島の古墳時代の短甲」で公開されています。

〔調査の概要〕

曲第2号古墳は直径が12~13.5m,高さ2.3m,やや楕円形の円墳です。埋葬施設は土坑で,組み合わせ式木棺の痕跡が確認されました。周溝から出土した須恵器などの型式から,古墳の築造は5世紀末とみられます。

短甲は幅50.5㎝,高さ49㎝。木棺内の端に立てて置かれていたようです。短甲の出土は県内で11例目ですが,これは三角板横矧板併用鋲留短甲(さんかくいたよこはぎいたへいようびょうどめたんこう)と呼び,前胴に横矧板,後胴に三角板を併用しています。この型式の短甲は県内では初めての発見で,全国的にも数少ない出土例です。土坑からは他に鉄刀,短剣,鉄鏃も出土しています。

県内の短甲は,亀山第1号古墳(福山市神辺町,5世紀前半)や三玉大塚古墳(三次市吉舎町,5世紀後半)など,各古墳群の中核的な古墳から出土しています。しかし,曲第2号古墳は山間地域の狭長な平野部に面した尾根上の小円墳で,発掘担当の調査員も土にまみれた正体不明の鉄製品が徐々に短甲の形を現した時は,予想外の出土遺物に大変驚いたそうです。

短甲は錆びがひどくて脆弱だったため,発泡ウレタンで全体を補強して取り上げました。京都の専門会社で保存処理・復元されましたが,後胴の背中にあたる部分などの壊れ方がひどく,アクリル樹脂の塗布など一連の作業でやっと元の形に戻ったそうです。

スポット速報展示「広島の古墳時代の短甲」は9月5日までです。保存科学の力で見事に復元された,珍しい曲第2号古墳の短甲を間近でご覧ください。

  • 丘陵の尾根に築かれた,やや楕円形をした曲第2号古墳
    丘陵の尾根に築かれた
    やや楕円形をした曲第2号古墳
  • 埋葬施設の土坑から出土した当時の短甲
    埋葬施設の土坑から出土した
    当時の短甲
  • 保存処理・復元された短甲(正面から)
    保存処理・復元された短甲
    (正面から)
  • 保存処理・復元された短甲(背面)
    保存処理・復元された短甲
    (背面)

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只野原 (ただのはら) 3号遺跡 (第2次) (庄原市高野町)

【調査期間】平成22年4月~11月

高野町で初めて掘立柱建物跡を確認!!

〔調査の概要〕

只野原3号遺跡は神野瀬川が形成した段丘にあります。今年度は,昨年度に続く部分の調査を行っています。同じ場所で,古墳~弥生,縄文,旧石器1,2と各時代の面を掘り下げ,4回(4面)の調査をします。

第1面(古墳~弥生時代)では,調査区の谷頭の斜面部に弥生終末期と思われる竪穴住居跡や土坑が見つかっているほか,1間×2間の掘立柱建物跡が6棟見つかりました。高野町で掘立柱建物跡を確認したのは初めてです。

掘立柱建物跡のうち,SB4と名付けた建物の柱を据える穴は他のものに比べ,径70~100㎝,深さ約50㎝とやや大型です。穴の中央には柱の太さ(径約20㎝)の分かる柱痕跡があります。

掘立柱建物跡は重複しているものもあり,同時に6棟建っていたのではありません。建物跡の年代は,遺物が出土していないので正確には分かりません。

現在,第1面の土を全部はぎ取って,第2面(縄文時代)の調査に移っています。柱や杭の痕跡と思われる丸い穴(ピット)を約250ヵ所検出していますが,方向がそろうものや規則性のあるものはないようです。

今後,さらに第2面の土をはぎ取って,2~3m下の第3面(旧石器時代),第4面(同)に移っていく予定です。ご期待ください。

  • 第1面(古墳~弥生時代)
    第1面(古墳~弥生時代)
  • 大型(中央,1間×2間)と小型(右側,1間×2間)の掘立柱建物跡
    大型(中央,1間×2間)と
    小型(右側,1間×2間)の
    掘立柱建物跡

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只野原 (ただのはら) 3号遺跡(第2次) (庄原市高野町)

【調査期間】平成22年4月~11月

高野小学校の遺跡見学会

〔見学会の概要〕

6月30日(水)に高野小学校5・6年生の社会科の学習として,国土交通省が進めている中国横断自動車道尾道松江線の建設に伴う発掘調査の遺跡を見学され,当調査室の職員が説明しました。

まず平成19年に調査を行った岡東古墳群の7基の古墳(すでに調査によって墳丘は削ってなくなっています)について,どんなところに造られたかを現地の地形を見ながらお話しました。古墳は小高い丘の上に並んで造られています。この古墳から出土した遺物は整理中なので,同じ時代の古墳から見つかった須恵器や勾玉・管玉・金環などを見学しました。

次に現在調査中の只野原3号遺跡で,作業の様子や昨年度の調査で3mあまり掘り下げた土層を見ながら,旧石器時代の三瓶山などの火山灰の堆積や当時の人々の暮らしをお話しました。

この2つの遺跡で2万数千年前や1,400年前の高野町の歴史をみることができました。ふるさとの学習に役立てば幸いです。

※ビデオ放映中 (「庄原市立高野小学校」のホームページをご覧ください。)

  • 岡東古墳群の見学
    岡東古墳群の見学
  • 只野原3号遺跡の見学
    只野原3号遺跡の見学
  • 只野原3号遺跡の見学
    只野原3号遺跡の見学
  • 口和町の古墳から出土した遺物に興味津々
    口和町の古墳から出土した
    遺物に興味津々

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石谷 (いしたに) 2号遺跡 (庄原市口和町)

【調査期間】平成22年4月~6月

縄文時代の落とし穴,一挙に37基見つかる!!

〔調査の概要〕

石谷2号遺跡は,北から南に延びる低丘陵上にあり,麓には西城川が低丘陵に沿って「U」の字状に流れています。今回の調査では,土坑が40基見つかり,このうち37基は縄文時代の落とし穴と思われます。落とし穴は単独で存在するものもありますが,多くは5~6m間隔で並んでおり,獣道を意識した配置です。

広島県内ではここ数年,縄文時代の落とし穴の検出が相次いでいますが,1ヵ所の遺跡から37基もの多くの落とし穴が見つかったのは初めてです。

並んだ落とし穴の列は4列見つかりましたが,列ごとに形や深さが統一されていました。落とし穴の平面形は隅丸長方形または楕円形で,深さ1~1.3mです。傾斜がきついところで見つかった落とし穴は,深さが2mを超えていました。

落とし穴の底には中央に径20㎝,深さ20~25㎝の小穴が一つあり,先をとがらせた杭が設置されていたと思われます。しかし,深さ2mのような落とし穴には,小穴は存在していませんでした。

なお,今回調査したのは石谷2号遺跡のB地点(2,800㎡)ですが,約100m離れたA地点(400㎡)でも昨年度の調査で縄文時代の落とし穴が4基見つかっています。

  • 遺跡遠景(北から)
    遺跡遠景(北から)
  • 斜面にある深い落とし穴
    斜面にある深い落とし穴
  • 楕円形の落とし穴
    楕円形の落とし穴
  • 幅の狭い落とし穴
    幅の狭い落とし穴

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半戸 (はんど) 1号遺跡 (庄原市高野町)

【調査期間】平成22年4月~5月

縄文時代の「狩り場」を発見!!

〔調査の概要〕

本遺跡は高野町の北西部,山塊の付け根付近の緩斜面に位置しています。周辺の水田との比高差は22mです。

本遺跡で確認した遺構は全て土坑で,その数は11基でした。形状は楕円形・円形・隅丸長方形で,規模も大小があります。深さはおおむね1.5~2mとかなり深いものです。なかには土坑底面に小ピットを確認できた土坑もありました。壁面の角度や深さなどから,これらの土坑は動物をつかまえる落とし穴と思われます。また,土坑の配置状況を見ると4~6mと,ある程度の間隔を置いています。

遺物は出土していませんが,火山灰の堆積状況などから,縄文時代であると断定できます。

縄文時代の狩人たちはけもの道を見つけ,そこに落とし穴を掘り,狩猟を行った様子が伺えます。

  • 調査風景
    調査風景
  • 遺跡全景
    遺跡全景

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