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発掘調査ニュース

平成21年度 発掘調査ニュース

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畑尻(はたけじり)遺跡 (三次市三良坂町)

【調査期間】平成21年4月~6月

旧石器時代の石核とハンマーがセットで出土!!

〔調査の概要〕

畑尻遺跡は,馬洗川が上下川と合流する地点から南側の水田地帯に位置しています。

調査の結果,旧石器時代後期後半頃の石核とハンマーストーンが出土した土坑,縄文時代の落とし穴6基,中世から近世の掘立柱建物跡1棟や土坑・溝・柱穴がみつかりました。

石核が出土した土坑の規模は長軸1.02m,短軸0.67m,確認面からの深さが10cm程度の長楕円形です。

出土状況から石核を置いてハンマーストーンを置いたと思われます。三良坂町では調査によって確認した初例であり,県北域でも遺構に伴う例は初例と思われます。

  • 上から見た畑尻遺跡
    上から見た畑尻遺跡
  • 石核とハンマーストーンの出土状況
    石核とハンマーストーンの
    出土状況
  • 直線的にならぶ落とし穴
    直線的にならぶ落とし穴

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石谷 (いしたに) 第2号遺跡 (庄原市口和町)

【調査期間】平成21年4月~6月

丘の上の獣道に並ぶ落し穴を多数発掘!!

〔調査の概要〕

遺跡は,北から南に延びる低丘陵上にあり,麓には西城川が低丘陵に沿って「U」の字状に流れています。

今回の調査では,隅丸長方形の土坑(どこう)が3基,円形の土坑が1基見つかり,縄文時代の落し穴と思われます。土坑は6m間隔で並んでおり,獣道(けものみち)を意識した配置です。

隅丸長方形の土坑は縦120~125㎝,横65~70㎝,深さ70~80㎝,円形の土坑は径90㎝,深さ100㎝です。土坑の底には中央に径10~15㎝,深さ20~25㎝の小穴があり,先を尖らせた杭が設置されていたと思われます。

  • 等間隔に並ぶ4基の落し穴
    等間隔に並ぶ4基の落し穴
  • 隅丸長方形の落し穴
    隅丸長方形の落し穴

  • 落し穴の想像図

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石谷 (いしたに) 第3号遺跡(庄原市口和町)

【調査期間】平成21年4月~6月

丘の上の古墳時代の一軒屋?を発掘!!

〔調査の概要〕

遺跡は古墳時代の集落跡で,北から南に延びる低丘陵上にあります。標高は約260mで,麓には西城川との間に水田が広がっています。南斜面の調査区から,竪穴住居跡2軒,土坑2基,性格不明の遺構2基,柱穴状の小穴などが見つかりました。

竪穴住居跡の一軒は,一辺約4.4mの方形で,東側の壁面には造り付けのカマドが設置されていました。また,このカマドの北側には廃棄されたカマドの跡があり,壁面に沿って平らな石材で塞がれています。

住居跡からは須恵器片・土師器片が出土しており,6世紀後半頃と思われます。

  • 遺跡全景写真
    遺跡全景写真
  • 竪穴住居跡 (右側の石がカマド跡)
    竪穴住居跡
    (右側の石がカマド跡)

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御領 (ごりょう) 遺跡 (第2次) (福山市神辺町)

【調査期間】平成21年6月~9月

弥生時代の溝をまたぐ橋を発見!!

〔調査の概要〕

この調査は,国道313号道路改良事業に伴う発掘調査です。御領遺跡は福山市神辺町下御領一帯から上御領南部にかけて,東西1.6㎞,南北1.4㎞の範囲に位置する,縄文時代後期から中世にかけての集落遺跡です。

今年度の調査区は遺跡の西端部に位置し,東西約130m,南北約30mの細長い長方形をしています。調査面積は3,781㎡で,遺構面の標高は約13mです。

縄文時代後・晩期(約3500~2200年前)と,弥生時代中期後半から古墳時代(約2000~1500年前)の2時期に営まれた集落跡を確認しました。検出した遺構数は,竪穴住居跡38軒,掘立柱建物跡16棟,土抗(墓や食料の貯蔵穴)89基,性格不明遺構13基,溝状遺構8条,柱穴約1100基です。

主な遺構として,遺跡の西部から縄文時代後期後半の埋甕SK115を確認しました。調査区の西端で検出した大溝SD1は,水路としての機能を持つ弥生時代中期から後期にかけて使われた大溝です。断面がU字形で,残存する規模は幅約6m,深さは1.6m程です。溝底から杭列とともに,直径約15~20㎝,残存する長さ38㎝程の柱材が,埋まった状態で出土しました。大溝を渡る橋の橋脚の一部と考えています。溝内から弥生時代中期後半から後期の土器片とともに,緻密な加工痕のある板状の木製品が出土しました。

調査区東部で,径約80㎝の柱穴が3m程の間隔で並ぶ,1間×1間の掘立柱建物跡SB162を検出しました。時期は弥生時代の終わり頃です。その北側から,径約70㎝の柱穴が1.3m程の間隔で並ぶ,1間×2間の掘立柱建物跡SB138を確認しました。時期はSB162と同時期か,若干新しいようです。これらの掘立柱建物跡は,物見櫓(やぐら)か,倉庫,または特殊な性格を持つ建物と推測しています。

  • 作業風景
    作業風景
  • SK115埋甕出土状態
    SK115埋甕出土状態
  • 調査区全景
    調査区全景

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岡 (おか) 2号遺跡 (庄原市高野町)

【調査期間】平成21年4月~5月

高野町初の竪穴住居を発掘!!

〔調査の概要〕

岡2号遺跡は,神野瀬川に向かって南西に延びる丘陵尾根の麓(標高535m)にあり,周辺にはリンゴ畑や水田が広がっています。

調査の結果,竪穴式住居1軒,土坑1基,性格不明の遺構1基などが見つかりました。住居跡は南側が失われていましたが,方形状のものと考えられます。床面から出土した土師器の破片から,6世紀頃のものと考えられます。

高野町においては竪穴住居跡の調査は初めてです。同じ尾根上にある岡東古墳群と共に,古墳時代における当地域の様子を探る上で良好な資料といえます。

  • 上から見た岡2号遺跡
    上から見た岡2号遺跡
  • 竪穴住居跡
    竪穴住居跡

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只野原 (ただのはら) 3号遺跡 (庄原市高野町)

【調査期間】平成21年5月~8月

高野町で旧石器時代の遺跡を発掘!!

〔調査の概要〕

只野原3号遺跡は,岡2号遺跡から神野瀬川を挟んだ南側丘陵上(標高552m)にあり,周辺は畑となっています。

調査の結果,縄文時代1層・旧石器時代2層の計3層にわたる文化層を確認しました。縄文時代層では土坑5基,ハンマーストーンをはじめ石鏃・尖頭器などの石器類や縄文土器を確認しました。旧石器時代層でも,石器の製作にともなう剥片や火を受けた礫群などが出土しています。高野町で旧石器が確認されたのは初めてで,各文化層の前後に遺跡の時期特定に重要な火山灰がしっかりと堆積していることから,県北部の旧石器文化を探る手立てとなりそうです。

  • 土層断面
    土層断面
  • 上から見た只野原3号遺跡
    上から見た只野原3号遺跡
  • 旧石器時代上層の作業風景
    旧石器時代上層の作業風景
  • そろって出土したハンマーストーン
    そろって出土した
    ハンマーストーン

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善正平 (ぜんせいびら) 1号・2号遺跡 (三次市甲奴町)

【調査期間】平成21年4月~9月

甲奴町で古代の鉄生産のムラを発掘!!

〔調査の概要〕

善正平1号・2号遺跡は,南から北に延びる丘陵上に立地し,尾根頂部を境に南東側に1号遺跡,北西側に2号遺跡があります。両遺跡間の距離は約80mです。

1号遺跡では,竪穴住居跡1軒,段状遺構5基などが見つかりました。2号遺跡では,竪穴住居跡10軒,掘立柱建物跡7棟,建物を伴わない段状遺構14基などが見つかりました。ほとんどの遺構は,斜面に造られています。竪穴住居跡と段状遺構は,かなり深く掘り込まれたものが多いため,完全に埋まりきらずに,窪んだ状態で残っていました。

遺物は,7世紀から8世紀初頭のものが中心で,土器(須恵器・土師器)の他,土製品(鞴の羽口),鉄製品(鋤先,斧または鑿),石製品(勾玉,砥石)などが出土しました。また,特定の遺構から鉄滓が出土しました。

出土遺物や遺構から,鉄器生産に関わっていた集落と考えられます。数軒見つかった一辺6.5~8.0mの大規模な竪穴住居跡や,掘立柱建物を伴う大規模な段状遺構は,鉄器生産と関連する施設と思われます。

  • 2号遺跡 調査風景
    2号遺跡 調査風景
  • 2号遺跡 鉄器生産の工房跡か
    2号遺跡 鉄器生産の工房跡か

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三重 (さんしげ) 1号遺跡 (三次市四拾貫町)

【調査期間】平成21年4月~9月

L字状カマド (オンドル状遺構) のある住居跡を発掘!!

〔調査の概要〕

遺跡は古墳時代の集落跡で,西から東へ延びる丘陵尾根を中心として立地しています。

調査区は東西に2分割され,遺構は主に西側の調査区で見つかりました。竪穴住居跡23軒,掘立柱建物跡2棟などです。

竪穴住居跡はいずれも平面形が方形です。床面中央の炉跡付近を中心に鉄の破片が広がり,鍛冶(かじ)作業をおこなった可能性が高い竪穴住居跡や,袖部の片側がL字状に屈曲する特異な形態のカマド跡?をもつ竪穴住居跡などが見つかっています。出土遺物は土師器,須恵器,製塩土器,土錘,剣形石製模造品(けんがたせきせいもぞうひん),有孔円板,臼玉,磨石,敲石,携帯用砥石,刀子,鉄鏃,鉄滓などで,特徴から5世紀中頃から7世紀初頭を中心とする時期と考えられます。

  • 調査風景 (1)
    調査風景 (1)
  • 調査風景 (2)
    調査風景 (2)

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杉谷 (すぎたに) 遺跡 (世羅郡世羅町)

【調査期間】平成21年9月~10月

古墳時代の須恵器を埋めた祭祀遺構を発見!!

〔調査の概要〕

遺跡は芦田川の支流の赤屋川が形成した狭長な谷筋の出口付近にあり,丘陵の西向き斜面に存在します。

今回の調査では,段々に造られた畑(水田)下から,中近世の柱穴群(14~17世紀)や,古墳時代 後期(6世紀中頃)の須恵器杯身,坏蓋がふせられた状態で数個体出土した土坑がみつかりました。




  • 遺跡全景
    遺跡全景
  • 須恵器杯出土状況
    須恵器杯出土状況
  • 調査風景
    調査風景

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風呂谷 (ふろたに) 遺跡・風呂谷 (ふろたに) 古墳 (三次市四拾貫町)

【調査期間】平成21年4月~11月

旧石器・縄文・古墳の複合遺跡を発掘!!

〔調査の概要〕

風呂谷遺跡は古墳時代(約1,400~1,700年前)を中心とする集落跡です。遺跡は南北に細長い丘の上に位置し,さらに遺跡の真中には頻繁に水の湧き出る窪地(埋没谷)が縦断していますが,13軒みつかった竪穴住居跡は水はけの良い遺跡縁辺部に分布が偏る一方,窪地では遺構が少ないかわりに当時の生活雑器と推測される土器が大量に出土しました。水はけのよい遺跡縁辺部は居住スペース,頻繁に水の湧き出る中央の窪地は生活廃棄物の捨て場などとして,地形などの条件にあわせた土地の使い分けをしていたようです。また,遺跡の中からは後期旧石器時代中頃(約2~3万年前)や,縄文時代早期(約9,000年前)の生活跡も見つかりました。

風呂谷古墳は風呂谷遺跡の北に隣接する場所にある,古墳時代後期(約1,600年前)の古墳です。古墳に納められた方が身につけていたと思われる金属製の耳環などが見つかりました。鉄滓(てっさい。製鉄や鍛冶に伴って出る不純物の塊)が供えられていたり,遺体を納めるスペース(横穴式石室)の床面に敷石や須恵器床(すえきしょう。須恵器の甕などを割って,破片を敷き詰めた上に遺体を安置する。)をつくるなど,広島県北部の埋葬習俗の特徴をよく示しています。

  • 風呂谷遺跡と風呂谷古墳 北側上空から(左下隅)
    風呂谷遺跡と風呂谷古墳
    北側上空から(左下隅)
  • 風呂谷遺跡 竪穴住居跡の発掘風景
    風呂谷遺跡
    竪穴住居跡の発掘風景
  • 風呂谷古墳 全景(東から)
    風呂谷古墳 全景
    (東から)
  • 風呂谷古墳 石室内遺物出土状況(画面左端が奥壁)
    風呂谷古墳 石室内遺物出土状況
    (画面左端が奥壁)
  • 風呂谷古墳 石室調査風景
    風呂谷古墳 石室調査風景

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廿日市町屋跡 (はつかいちまちやあと) 第2次調査 (廿日市市廿日市二丁目)

【調査期間】平成21年11月~12月

幕末に焼き払われた近世の町屋を発掘!!

〔調査の概要〕

瀬戸越南古墳は,南流する国兼川が馬洗川に合流する手前の東側の丘陵上に位置しています。

この古墳は,調査の結果,直径12~13m,高さ約2.5mの円墳で,墳丘には葺石が施されており,一部南側は二段になっていました。埋葬施設は箱式石棺です。出土した土師器の形態から5世紀後半から6世紀頃に造られた古墳と考えられます。また,多くの鉄滓が墳丘や箱式石棺の中から出土しており,被葬者は鉄生産に関わりがあったと考えられます。

  • 3区小鍛冶炉(南から)
    3区小鍛冶炉
    (南から)
  • 5区江戸時代の水路か(北東から)
    5区江戸時代の水路か
    (北東から)
  • 作業風景
    作業風景

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長畑山北 (ながはたやまきた) 第1~6号墳 (三次市吉舎町海田原)

【調査期間】平成21年6月~12月

古墳時代後期の群集墳を発掘!!

〔調査の概要〕

長畑山北第1~6号古墳は,日本海に注ぐ江の川支流の馬洗川を北に望む丘陵上に位置しています。標高は240~247mで,馬洗川とは約40mの標高差がありました。

6基の円墳で構成される本古墳群は,斜面に沿うように縦長に並んでいます。規模は,最も小さい第6号古墳が径5.0m,最も大きい第4号古墳が径9.8mであり,ほかに第2号古墳が径5.5m,第1・3・5号古墳は径7.2~8.0mです。周溝は,幅1.1~2.5m,深さ0.4~0.7mであり,斜面の上側を中心に1/2~2/3程度廻っていますが,第2号古墳のみ全周しています。

埋葬施設は木棺が多く,竪穴式石室1基や横穴式石室1基も含まれます。木棺墓からは須恵器 (杯身・杯蓋・はそう) ,土師器 (高杯) が,竪穴式石室からは須恵器 (杯身・杯蓋) ,土師器片,鉄器 (摘鎌) が出土しました。横穴式石室からは多くの遺物が出土し,その内容は須恵器 (壺・杯身・杯蓋・提瓶・はそう) ,鉄器 (直刀・刀子・鉄鏃・鎌・鉄斧) ,耳環,ガラス小玉・切子玉 (水晶) ・土玉・砥石です。

古墳群から出土した須恵器は6世紀中頃~後半のものが大半ですが,第1号古墳の周溝から6世紀前半の杯蓋片が出土しました。また,第4号古墳の横穴式石室からは,6世紀中頃~後半のものとは別に,上層から8世紀代の平底壺が出土しています。

第4号古墳の横穴式石室はこの地域で最も古いものであり,在地色の残る木棺墓から横穴式石室が導入される様子がよくわかる,貴重な調査例となりました。当初,第4号古墳は開口部も含めて完全に土で埋まっていたため,埋葬施設は箱式石棺または竪穴式石室と考えられていました。

しかし,調査の結果,横穴式石室であると判明したことは,横穴式石室が非常に少ない地域として知られていた当地域に,未だ発見されていない横穴式石室が数多く存在する可能性を示しています。また,本古墳群と同じ丘陵上に位置し,昨年度調査した長畑山古墳では横穴式石室埋土上層から火葬骨が見つかり,石室の再利用が確認されています。第4号古墳でも石室埋土上層から炭化材や8世紀代の須恵器が見つかっており,この地域では横穴式石室の再利用が頻繁に行われていた可能性があることが明らかとなりました。

  • 全景(南から)
    全景(南から)
  • 第4号古墳 墳丘検出状況(北から)
    第4号古墳 墳丘検出状況
    (北から)
  • 第4号古墳 遺物出土状況(北から)画面奥が奥壁側
    第4号古墳 遺物出土状況
    (北から)
    (画面奥が奥壁側)

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