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発掘調査ニュース

平成20年度 発掘調査ニュース

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頼藤 (よりとう) 城跡 (三次市甲奴町)

【調査期間】平成20年4月~7月

甲奴町で戦国期の山城跡を調査!!

〔調査の概要〕

頼藤城跡は,甲奴町頼藤集落の西南部にある標高473mの頂部から南北に延びる尾根線上に立地し,城跡は三つの郭群に分かれています。

第1郭群は,本城跡の最高所に位置し,中核的な郭群で大小24か所の平坦面に4棟の掘立柱建物跡が見つかりました。

第1郭群の南側の第2郭群は,大小11か所の平坦面がありましたが,建物跡は確認できませんでした。

第3郭群は第1郭の北側にあり,8か所の平坦面が造られていましたが,いづれも規模は小さく,掘立柱建物跡1棟が確認されました。

遺物は,第1郭群で土師質土器,青磁碗,古銭,鉄製品等が出土し,第3郭群では土師質土器,亀山焼が出土しています。土器の形態から見て15世紀末から16世紀初期のものと考えられます。本城跡のある三次市甲奴町南部地域は,15世紀後半頃から庄原市田総の長井氏と,庄原市山内を本拠とした山内氏の支配領域の境目地域です。本城跡は山内氏が,この地域を支配下に組み込んでいく過程を考える上で,重要な城跡です。

  • 城跡全景 (南西から)
    城跡全景 (南西から)
  • 1郭頂部の状況 (東から)
    1郭頂部の状況 (東から)
  • 1郭SB1の状況 (南から)
    1郭SB1の状況 (南から)
  • 3郭の状況 (南から)
    3郭の状況 (南から)

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茶臼 (ちゃうす) 古墳 (三次市甲奴町)

【調査期間】平成20年7月~9月

2体を埋葬した箱式石棺を調査!!

〔調査の概要〕

古墳は,甲奴町宇賀の集落を眼下に見下ろす丘陵上に位置し,標高414mで周辺水田との標高差は約40mです。

古墳は小さな尾根線上に直線的な2本の溝を掘って区画しているために平面形はやや長方形に近く,墳丘の規模は東西約10m,南北約12m,高さ1.3mでした。埋葬施設は尾根線に直交して3基の箱式石棺が配置されていました。北側 (SK1) 及び中央にある石棺 (SK2) 2基は内法で長さ約1.6~1.7m,幅は0.25~0.6mで,規模からみて成人を埋葬した石棺と考えられ,南側の石棺 (SK3) は長さ0.7m,幅0.25mで小児を埋葬したものと考えられます。

なお,SK2からは人骨2体分とガラス小玉15点が出土しています。この古墳の築造年代は,石棺の石組方法などから見て5世紀代と考えられます。

  • 全景 (北西から)
    全景 (北西から)
  • 埋葬施設の状況 (北から)
    埋葬施設の状況 (北から)
  • 左からSK1・SK2・SK3 (西から)
    左からSK1・SK2・SK3
    (西から)
  • SK2の状況 (西から)
    SK2の状況 (西から)

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宮の本 (みやのもと) 遺跡 (三次市向江田町)

【調査期間】平成20年4月~10月

丘陵斜面に造られた集落と古墳を調査!!

〔調査の概要〕

宮の本遺跡は,標高287mの山塊から南西に派生した丘陵の南斜面に立地しています。

調査の結果,住居跡42軒,土坑15基,性格不明遺構8基を検出し,さらに,遺構は調査区外に広がっているようです。住居跡には,カマドをもつ方形の竪穴住居や,斜面を平坦に削平し,排水溝をもつ掘立柱建物が確認されています。住居跡内は7世紀前半から8世紀代のものと考えられ,土師器や須恵器,鉄鎌などが出土しています。

また,住居群の東側には横穴式石室2基の他に,箱式石棺2基,石蓋木棺墓2基,木棺直葬墓1基などが発見されました。

本遺跡は調査区外の西側にも広がっていますが,遺構の配置状況からみて,住居などの生活空間が西側に,横穴式石室や箱式石棺などの墓地空間が東側に占地していることが明らかになりました。

  • 空中写真 (南東から)
    空中写真 (南東から)
  • SB19 (南から)
    SB19 (南から)
  • 住居跡群の状況 (東から)
    住居跡群の状況 (東から)
  • SB2作業風景 (南から)
    SB2作業風景 (南から)
  • 第34号古墳 (南から)
    第34号古墳 (南から)

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宮の本 (みやのもと) 第11号古墳 (三次市向江田町)

【調査期間】平成20年9月~10月

集落に近接して造られた長大な横穴式石室を調査!!

〔調査の概要〕

宮の本第11号古墳は,宮の本遺跡の東側に位置しています。古墳は直径約12mの円墳で,埋葬施設として長さ8.3m,幅約1.1m,高さ約1.5mの横穴式石室が造られていました。石室床面には奥壁から約2.3mの範囲に平らな石を敷き詰めた敷石がありました。石室の平面形状は無袖式ですが,右側壁では奥壁から4.2mの位置に高さ1m,幅0.5mの三角形の立石が配され,この石の上部に天井石が架構されていたことから,この立石を境に玄室と羨道が区分されていたものと考えられます。石室内からは金銅製耳環2点のほか,須恵器 (杯身・杯蓋・高坏・平瓶・甕) ,刀子,鉄釘が出土しています。須恵器の形態から6世紀後半頃から7世紀中頃にかけて使われたものと考えられます。

本古墳の被葬者は,古墳が宮の本遺跡に近接していることから,この集落の有力者と推定されます。

  • 第11号古墳全景 (南から)
    第11号古墳全景 (南から)
  • 第11号古墳全景 (南から)
    第11号古墳全景 (南から)
  • 出土遺物の状況 (南から)
    出土遺物の状況 (南から)

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三重 (さんしげ) 1号遺跡 (三次市四拾貫町)

【調査期間】平成20年11月~12月

7世紀代の住居跡を調査!!

〔調査の概要〕

三重1号遺跡は,馬洗川水系の支流である菅田川を眼下に望む丘陵斜面に立地しています。周辺の水田との標高差は約40mです。

調査によって,竪穴住居跡1軒,溝2条,段状遺構4基が明らかとなりました。竪穴住居跡は一辺約5.5mの方形の竪穴住居で,出土遺物から7世紀後半頃のものと考えられます。溝 (sD1) は等高線に対しやや斜交して長さ2~26m以上,最大幅約2.5mの規模のものです。段状遺構 (sX1) は斜面を削平して平坦面を造っていました。

三重1号遺跡の調査は,平成21年度にも丘陵頂部が計画されており,これによって,遺跡の全体像が解明されるものと期待されます。

  • 調査区全景 (西から)
    調査区全景 (西から)
  • SB1 (東から)
    SB1 (東から)
  • SD1・SX1の状況 (西から)
    SD1・SX1の状況 (西から)

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長畑山 (ながはたやま) 古墳 (三次市吉舎町)

【調査期間】平成20年9月~12月

横穴式石室内から火葬墓を発見!!

〔調査の概要〕

古墳は,馬洗川を眼下に見下ろす丘陵斜面に立地しています。古墳の形は東西約10.5m,南北約12mの楕円形で,斜面上方にあたる西側は長さ10m,最大幅2.5mの溝を掘って古墳を区画しています。高さは南側の墳裾から2mです。埋葬施設は全長約6m,幅約0.8~1.2mの横穴式石室です。西側壁では奥壁から約2mの位置に高さ50cm,幅15cmの石材を立てることで玄室と羨道部を区分しているようです。石室床面には敷石や棺台石が配置されていました。石室内からは須恵器 (杯身・杯蓋・はそう・高杯・提瓶・平瓶・長頸壺) ,土師器 (椀) ,鉄器 (鏃) ,石製小玉,土製小玉, 耳環などが,墳丘外表や周溝から須恵器 (杯身・杯蓋・提瓶・髙杯・甕) ,土師器 (甕) が出土しています。これら遺物は6世紀末から7世紀中頃のもので,時期幅があることから追葬があったものと考えられます。

また,奥壁から0.6mの敷石周辺から木製容器に入れて埋葬されたと考えられる多量の火葬骨とともに,8世紀代の杯蓋や高杯が出土しています。この古墳は三次地方への火葬墓の導入時期を知る上で貴重な発見となりました。

  • 古墳の全景 (南西から)
    古墳の全景 (南西から)
  • 石室全景 (南から)
    石室全景 (南から)
  • 石室内部の状況 (南から)
    石室内部の状況 (南から)

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殿平 (とのひら) 古墳 (三次市吉舎町)

【調査期間】平成20年9月~12月

箱式石棺を埋葬施設にもつ古墳の調査!!

〔調査の概要〕

殿平古墳は,馬洗川の西側に広がる丘陵尾根線上に立地し,尾根に幅1.5mの溝を掘り込んで古墳を区画しており,直径約7.5m,高さ0.75mの円墳です。埋葬施設は箱式石棺で,尾根線に直交して東西1.65m,幅は0.2~0.4mの規模を有しています。この古墳からの出土遺物はありませんでしたが,石棺の配石状況等から5世紀代に築造されたものと考えられます。


  • 古墳の全景 (南から)
    古墳の全景 (南から)
  • 石棺の検出状況 (東から)
    石棺の検出状況 (東から)
  • 石棺側石の状況 (北から)
    石棺側石の状況 (北から)

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岡東 (おかひがし) 第1~7号古墳 (庄原市高野町)

【調査期間】平成20年5月~9月

広島県最北端域にある古墳の調査!!

〔調査の概要〕

岡東古墳群は,標高629mの山塊から南西に延びる尾根線上に位置しており,第1号古墳が最高所 (標高576m) にあり,第2~5・7号古墳は第1号古墳の西側の尾根上にほぼ等間隔に配置されています。また,第6号古墳は第1号古墳の南側の斜面にあります。

第1号古墳は直径16m,高さ3mの円墳で,東西に尾根線を分断するように溝を掘って古墳を造っています。東側の溝は幅2.7m,深さ1.7mです。埋葬施設は2基あり,うち1基は割竹型木棺を埋葬していました。第2・6号古墳からは土師器 (壺・高坏) ,3・6号古墳からは鉄器 (鍬先・刀) が出土しました。これらの古墳は出土遺物等から,概ね5世紀代に築造されたものと推定されます。

  • 古墳の遠景 (南から)
    古墳の遠景 (南から)
  • 第1号古墳全景 (北から)
    第1号古墳全景 (北から)
  • 第1号古墳周溝の状況 (西から)
    第1号古墳周溝の状況 (西から)
  • 第1号古墳SK1の状況 (南から)
    第1号古墳SK1の状況 (南から)

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岡 (おか) 1号遺跡 (庄原市高野町)

【調査期間】平成20年5月~9月

高野町内で落とし穴を発見!!

〔調査の概要〕

岡1号遺跡は岡東古墳群の東側約65mの位置にあります。遺構は現表土を約1~2m掘り下げた黄褐色粘質土上で3基の土坑を検出しました。これらの土坑は長さ1.1~1.6m,幅0.75~1.35m,深さ0.35~1mで底面中央部に小ピットが掘られ,しかも尾根線や斜面地に等間隔に配置されていることから,落とし穴ではないかと考えられますが、時代については,出土遺物もなく不明です。

  • SK3の状況 (南から)
    SK3の状況 (南から)
  • SK1の状況 (西から)
    SK1の状況 (西から)

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只野原 (ただのはら) 1号遺跡 (庄原市高野町下門田)

【調査期間】平成20年5月~9月

高野町内で箱式石棺墓を調査!!

〔調査の概要〕

遺跡は神野瀬川の南側に広がる河岸段丘 (標高550m前後) に立地し,河川との標高差は約20mです。

調査区の中央から箱式石棺1基を確認しました。石棺の南側 (斜面の下側) の石が抜き取られ,蓋石は北側に1枚だけが残存していましたが,石棺の大きさは長さ1.1m以上,幅0.6mで南側に向かって広くなっています。床面は板状の礫を敷いてありました。

棺内からは遺物が出土していないために,築造時期の特定できませんが,石棺から少し離れた調査区内の南側から須恵器片数点が出土しています。

  • 全景 (西から)
    全景 (西から)
  • 埋葬施設の状況 (北から)
    SK1 (西から)

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番久 (ばんきゅう) 遺跡 (庄原市口和町)

【調査期間】平成20年7月~12月

縄文と古墳時代の複合遺跡!!

〔調査の概要〕

遺跡は,口和町内の西域部にあたる大月地区に所在し,萩川と竹地川を見下ろす丘陵上に立地しています。調査の結果,竪穴住居跡4軒,土坑24基,小土坑7基,溝状遺構1条を確認しました。竪穴住居跡は平面形がいずれも一辺3mの方形で,柱穴は確認されていません。これら住居跡は出土遺物から古墳時代中期前半頃と推定されます。土坑は,形状からみて縄文時代の動物狩猟用の落とし穴と推測されるものが5基ありますが,これら以外は時期不明の墓あるいは炉跡と推測されます。


  • SB1 (東から)
    SB1 (東から)
  • SB2 (東から)
    SB2 (東から)
  • SK8 (東から)
    SK8 (東から)
  • SK18 (南から)
    SK18 (南から)
  • 遠景 (北西から)
    遠景 (北西から)

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原畑 (はらばたけ) 遺跡 (庄原市口和町)

【調査期間】平成20年7月~12月

口和町内最大級の古墳時代の集落跡!!

〔調査の概要〕

遺跡は大月集落の西方に聳える黒岩山の東麓の傾斜地に立地しています。調査の結果,竪穴住居跡17軒,掘立柱建物跡3棟,土坑7基,溝状遺構1条,小土坑24基を発見しました。竪穴住居跡は,1一辺3~4m程度の方形のもの (12軒) ,2直径6m程度の円形のもの (4軒) ,3住居を拡張する過程で隅丸方形から方形に変わったもの (1軒) がありました。時期については,出土遺物から,1は古墳時代中期前半期から後期,2は弥生時代中期,3は弥生時代から古墳時代前期頃と考えられます。このことから,本遺跡は弥生時代中期から断続的に古墳時代後期頃まで営まわれた集落であったことが明らかになりました。

なお,遺物で興味深いものとして,剣形石製品が出土しています。集落内の祭祀のあり方を探る上で貴重な資料となります。

  • 遠景 (南西から)
    遠景 (南西から)
  • SB3 (東から)
    SB3 (東から)
  • SB8 (東から)
    SB8 (東から)
  • 段状遺構 (北から)
    段状遺構 (北から)

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向泉川平(むこういずみかわひら)1号遺跡(庄原市口和町)

【調査期間】平成20年4月~7月

口和町内で旧石器時代の遺跡を確認!!

〔調査の概要〕

遺跡は庄原市口和町の南西部に位置し,西城川水系の萩川とその小支流に挟まれた南北方向に細長い丘陵上に位置しています。

調査区 (約210㎡) では3層の文化層を確認しました。第1文化層では遺物集中部4か所,集石遺構5基を検出しました。遺物集中部は径6~9m程度の範囲内に縄文土器約60点,石器・石片・礫などの石製品170点が出土しました。石器・石片には黒曜石・サヌカイト・水晶・流紋岩などがあります。時期は出土土器からみて,縄文時代前期 (約7,000年前) と考えられます。第2文化層では遺物集中部1か所を検出しました。径2mの範囲に黒曜石などの石片 (剥片・砕片) がまばらに分布していました。時期は後期旧石器時代ナイフ形石器文化後半期 (約20,000~29,000前) に属するものと推定されます。第2文化層の下部にある第3文化層からは,遺物集中部7カ所,配石5基を確認しました。遺物集中部は直径2~6m程度の範囲内に石器や石片が分布していました。時期は29,000年以前と考えられます。

今回の調査では,各文化層の遺物集中部で石器や土器が製作・使用されるとともに,集石遺構や配石も日常生活のなかで形成されたことが確認されました。住居跡は確認されませんでしたが,一定の期間生活の場として利用された集落跡として間違いないようです。

  • I・J区の状況 (西から)
    I・J区の状況 (西から)
  • k・G区の状況 (東から)
    k・G区の状況 (東から)
  • 土層の精査 (東から)
    土層の精査 (東から)

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向泉川平 (むこういずみかわひら) 2号遺跡 (庄原市口和町)

【調査期間】平成20年4月~7月

口和町内で古墳時代の集落跡を調査!!

〔調査の概要〕

遺跡は庄原市口和町の南西部に位置し,西城川水系の萩川とその小支流に挟まれた,南北方向に細長い丘陵上に立地しています。遺跡のすぐ南側には旧石器時代の包含層を確認した向泉川平1号遺跡があります。

今回の調査では,弥生時代の竪穴住居跡 (SB3) 1軒,古墳時代の竪穴住居跡 (SB1・2) 2軒,時期不明の土坑2基を検出しました。竪穴住居跡は弥生時代後期後半~終末期のもので直径3.5mの円形で,2本の主柱穴をもち,床面には炭化した柱材や焼け土が確認されました。古墳時代の住居跡はいずれも一辺4m程度の隅丸方形の平面プランをもち,主柱穴は4本柱と2本柱のものがありました。

山間地域の弥生時代から古墳時代を集落遺跡の立地等を知る上で貴重な資料が追加されました。

  • SB1 (東から)
    SB1 (東から)
  • SB3 (東から)
    SB3 (東から)
  • SB2 (東から)
    SB2 (東から)

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川平 (かわひら) 第1号古墳 (庄原市口和町)

【調査期間】平成20年4月~6月

口和町で古墳を調査!!

〔調査の概要〕

古墳は三次市君田町と庄原市口和町の境を北から南に流れる萩川を眼下に望む丘陵上に立地し,周辺水田との標高差は約20mです。

古墳は直径約13m,高さ1.8mで発掘調査は古墳東側の一部100㎡のみの発掘調査で,墳丘の裾部と周溝を調査しました。周溝の規模は幅1.1m,深さ0.6mで,周溝下層から土師器 (坩) ,須恵器 (短頸壺・杯蓋片・甕片) が検出されました。築造時期は,須恵器の形態から6世紀後半頃と考えられます。

  • 周溝の状況 (北から)
    周溝の状況 (北から)
  • 周溝の状況 (南から)
    周溝の状況 (南から)

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常定川平 (つねさだかわひら) 1号遺跡 (庄原市口和町)

【調査期間】平成20年4月~6月

カマドをもつ住居跡を調査!!

〔調査の概要〕

古墳は,三次市君田町と庄原市口和町の境を北から南に流れる萩川及び川平の集落を眼下に望む丘陵上に位置し,周辺水田との標高差は約60mです。

調査区内からは,竪穴住居跡 (SB1) 1軒,掘立柱建物跡 (SB2) 1棟,柱穴状のピット11基を確認しました。竪穴住居跡は4.5~5.5mの方形の平面形をもち,柱穴は4本で南側にカマドがあり,住居内からは須恵器,土師器、鉄滓が発見されました。これらは,6世紀末~7世紀初頭頃のもので,鉄滓などの出土から鉄生産に関わっていた人々が生活していたものと推定されます。

なお,掘立柱建物跡は2間×2間の建物で,倉庫などに使用されたのではないかと考えられますが,出土遺物がないため、時期は不明です。

  • 近景 (北から)
    近景 (北から)
  • SB1 (北から)
    SB1 (北から)
  • SB2 (東から)
    SB2 (東から)

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常定川平 (つねさだかわひら) 2号遺跡 (庄原市口和町)

【調査期間】平成20年4月~6月

丘陵斜面の落とし穴を発見!!

〔調査の概要〕

遺跡は,三次市君田町と庄原市口和町の境を北から南に流れる萩川及び川平の集落を眼下に望む丘陵上に所在し,常定川平1号遺跡からは約250m北側に位置しています。

調査の結果,4基の土坑を確認しました。土坑の長さは約1.5~2m,幅0.75~1m,深さ0.65~1.3mです。1基を除き,3基は等高線に直交する主軸線をもちます。これら土坑の特徴は,近年,県北地域で確認されつつある縄文時代の落とし穴に共通する点が多いことから,本遺跡の遺構も同様な性格のものと考えられます。

  • 近景 (西から)
    近景 (西から)
  • SK1 (南から)
    SK1 (南から)

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馬ヶ段 (ばばがだん) 遺跡 (庄原市水越町)

【調査期間】平成20年4月~7月

横穴墓2基を発見!!

〔調査の概要〕

遺跡は,西城川支流の小河川にそって東から西へ延びる低丘陵上に立地しています。調査の結果,竪穴住居跡4軒,掘立柱建物跡4軒,住居状遺構4基,横穴墓2基,土坑2基,性格不明の遺構2基を発見しました。竪穴住居跡は一辺約5mの方形で,うち3軒はカマドが付設されていました。掘立柱建物跡は,斜面を平坦に削り出して、2間×1間 (3軒) ,2間×2間 (1軒) の建物を造っていました。住居状遺構は斜面を削り出した平坦面のみが発見されたものです。横穴墓のうち,1基は墓として使用されていましたが,他の1基は築造途中で放棄された未完のもののようです。横穴墓は7世紀代に築造されたもので,竪穴住居跡などの建物が廃絶された後に,横穴墓が築造されたことがわかりました。

  • 掘立柱建物と横穴墓 (南西から)
    掘立柱建物と横穴墓 (南西から)
  • 北西区遺構群 (南西から)
    北西区遺構群 (南西から)
  • SB3 (西から)
    SB3 (西から)
  • 横穴墓1前庭部 (西から)
    横穴墓1前庭部 (西から)
  • 横穴墓1玄室部 (西から)
    横穴墓1玄室部 (西から)

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皇塩 (おうじお) 遺跡 (庄原市水越町)

【調査期間】平成20年4月~7月

横口付炭窯2基を調査!!

〔調査の概要〕

遺跡は,西城川支流の小河川にそって東から西へ延びる低丘陵上に位置しており,横口付炭窯2基,箱式石棺1基,石蓋土坑墓1基,溝状遺構1条を発見しました。横口付炭窯はともに,等高線に対して斜めに築き,西側を焚口に,東側を煙道としていました。窯の南側に横口を付設し,横口の前面には前庭部と呼ばれる平坦面を造成していました。1号炭窯跡は2号炭窯跡の大半を壊して造られたため,2号窯跡は焚口と煙道付近がわずかに残っていました。1号窯跡の燃焼部は長さ約8m,床面の幅は約0.8mです。前庭部の規模は,長さ8.4m,最大幅3.8mです。横口は8か所が存在していました。この窯が造られたのは出土遺物などから7世紀代と考えられます。箱式石棺や石蓋土坑墓はいずれも小型で小児を埋葬したものと考えられますが,出土遺物がなく時期については不明です。

  • 全景 (南から)
    全景 (南から)
  • 1号炭窯 (西から)
    1号炭窯 (西から)
  • 1号炭窯横口 (西から)
    1号炭窯横口 (西から)
  • SK1 (東から)
    SK1 (東から)

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廿日市町屋 (はつかいちまちや) 跡 (廿日市市廿日市)

【調査期間】平成20年11月~12月

横口付炭窯2基を調査!!

〔調査の概要〕

調査地点は,町屋の中央部を東西に通る西国街道と,南北に交差する「横小路」と呼ばれる通りの北西角部分に相当します。

調査の結果,3時期の遺構面を確認しました。第1遺構面は,現地表下約40cmにあり,焼土や炭化物が広がっていました。現道に直交した石列や,直径1m前後の漆喰を内側に貼った土坑が存在し,内部から瓦や砕石,貝殻が発見されました。第2遺構面は,第1遺構面から約30cm下層にあり,一部に炭化物が広がり,固く締まった土層面や礫群が存在しました。この他に,径0.5~1mの大きさの土坑があり,内部からは土器,貝殻が出土しました。第3遺構面は第2遺構面の約40cm下層にあり,2.7m四方の敷石面や黄色粘土を周りに貼った土坑などを発見しました。各遺構面からは,江戸時代以降の陶磁器,鞴の羽口,土錘,砥石,刀子,銅銭などが出土しています。今回の調査では,江戸時代の西国街道・廿日市宿の住居構造などを知る上で貴重な知見が得られました。

  • 1区第2面 (南から)
    1区第2面 (南から)
  • 1区第3面 (南から)
    1区第3面 (南から)
  • 1区第3面土坑の状況 (東から)
    1区第3面土坑の状況 (東から)

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御領 (ごりょう) 遺跡 (福山市神辺町下御領)

【調査期間】平成20年10月~12月

古墳時代の集落跡を調査!!

〔調査の概要〕

遺跡は,岡山県境に近い地域にあり,東西1.6㎞,南北1.4㎞の範囲の県内最大規模の縄文時代後期から江戸時代にかけての集落遺跡です。

今回の調査は,国道313号道路改良工事に伴うもので,遺跡の西端部の2,270㎡を発掘調査しました。

調査の結果,縄文時代から古墳時代にかけての遺構を発見しました。内訳は縄文時代晩期の土坑3基,弥生時代の井戸1基,土坑1基,溝状遺構1条,古墳時代前期と考えられる竪穴住居跡6軒,掘立柱建物跡4棟などです。

調査地点は,旧高屋川と堂々川との合流地点の東北部にある微高地で,縄文時代晩期以降集落立地に適した場所であったることもわかりました。

  • 調査区全景 (西から)
    調査区全景 (西から)
  • SB1 (南東から)
    SB1 (南東から)
  • SB3 (南東から)
    SB3 (南東から)
  • SB7 (北から)
    SB7 (北から)

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